ブログのコメントにお答えします。

ブログのコメントに私なりのお答えします。但し、多くの不登校の子どもの母親にここまで理解しなさいと言うのは無理ですが、脳科学的に、経験的に意味がある場合が多いようです。

最初に、大人の心と子供の心と大きく異なることを指摘しておきます。子供の心が元気なら、子供は大人の思いを受け入れて大人の思いに子供自身を合わせることが出来ます。ところが不登校の子どものように心が辛い子供、心が辛くなくても色々と辛い経験をしていて心に余裕が無い子どもでは、その時生じる情動(一応感情と考えて下さい)で反応をします。知識からの反応はないと考えて大丈夫です。

>心を元気にするにはゲームなど楽しいことに没頭することが大事であること。
心を元気にするにこれは一つの効果的な方法です。しかしその意味を子供は理解しません。子供は経験的にゲームなどをすると心が楽になることは知っていますから、この内容を子供が理解する言葉で伝えると、子供はそれに従おうとする場合が多いです。

>トラウマを消すのにはそれが一番確実で結果的に早く解決できること。
これは大人の考え方です。子供は理解をしません。このMSGは母親が心が辛い子供への対応の仕方を母親なりに理解する方法です。

>これは子供に「ゲームなど楽しいことに没頭してトラウマを消して、早く元気になってほしい。」と言っているのと同じではないですか?
大人が考えるとその様にも理解できます。しかし子供に向かってこの言葉を言っても理解しませんから、この言葉を子供に向かって行っても意味がないばかりでなく、子供によってはここに書かれているように感じないまでも、母親からその時の子供のあるがままを否定されているように理解する可能性が高いです。ですから母親が心の中でこのように思っていても、絶対に言葉にして子供に言うべきでないです。

>お母さんは勉強して欲しいとか、学校に行って欲しいとか思わなくなった。
少なくとも不登校の子どもは、学校に反応をして子供を辛くするトラウマを持っていますから、今目の前の子供が登校刺激で苦しんでいるなら、この言葉で登校刺激の強さが弱まるはずです。
但し、この言葉の中には否定はされていても、学校という単語、勉強という単語が出てきます。ですから、不登校でも登校刺激を感じていない状態の子供には言うべきではないです。
一方、目の前の子供が学校で苦しみ、勉強で苦しんでいるなら、その原因である登校刺激を母親が否定してあげることで、目の前の登校刺激で苦しんでいる子供の辛さは楽になっていきます。しかしそれだけでは不十分です。この言葉と同時に情動の接近系、つまり母親からの共感とスキンシップが必要です。それがないと登校刺激からの反応は弱まりますが、依然として心が辛い状態に変わりはありません。

>自分が納得して自分なりに前に進んで成長していけばいいと思ようになった。
これも大人の心からの発想で、子供には理解が難しいです。少なくとも小、中学年齢の子供には理解が出来ないと思います。理解が出来ない言葉を言われたら、子供は自分を否定されたと理解しがちですから、母親はこの言葉を言わない方が良いです。しかし言ったとしても、その言葉から受ける可能性がある子供への否定はそれほど強くありません。それよりも学校を否定してあげた母親、勉強を否定してあげた母親から得られる安心感の方が遙かに大きいです。

>だから、ずっと勉強しなくていい、ゲームなど楽しいことをして家でゆっくり過ごし欲しいと言い続けてきた等と話しました。
上記の理由で言い続けることは、不登校の子どもにはありがたいことですが、言わなくても良いことまで言うことで、母親から受ける喜びが減ってしまう問題があります。しかし減ってしまう問題点はあっても、それ以上に何倍も子供の心の安心感を得られるなら、言っても問題ないです。また、多くの母親がついつい大人の考え方を言ってしまうのも仕方がないことです。

>学校に行ってほしいとか、勉強してほしいとか思わなくなった。ずっと勉強しなくていい、ゲームなど楽しいことをして家でゆっくり過ごしてほしい。
繰り返しますが、今目の前の子供が学校で、勉強で、強い登校刺激を受けて苦しんでいるときには、この言葉を言って良いです。今目の前の子供が登校刺激で苦しんでいないなら、ゲームなど楽しいことをして家でゆっくり過ごして欲しい、と言う言葉だけ言うのが良いです。

>と言いながら、「自分が納得して、自分なりに前に進んで成長していけばいい」と言っている。
大人が聞くとその様に理解できます。しかし子供の心はその様に感じません。考えません。子供の心は楽なることを、楽しくなることを反射的に求めて、辛いことから反射的に逃げようとします。

>家でゆっくり好きなように過ごしてほしいと言いながらも、前に進んで成長を求められている。
上記の様に、もし母親がその様に思っていても、子供はもっと単純に反応をしています。これは大人の心の考え方です。

>この矛盾に、お子さんは何とも思わなかったんでしょうか?お子さんは府に落ちたと納得されたようですが、
子供は登校刺激を否定されて、楽になっただけと考えて大丈夫です。それほど登校刺激を否定されることは、不登校の子どもには、母親に其れ以外の少しばかりの(ここが大切です)問題点があっても、全体として心が楽になっていきます。

>うちの息子ならあり得ません。もし同じ発言を私が息子にしたら、「俺に早く学校へ行ってほしいからカウンセラーに言われてこういう対応をしてたのか」となり、一気に親子の信頼関係が崩壊するのが目に見えています。
このMSGから、きっと息子さんは不登校で、登校刺激を受けていない時間が短い可能性を推測してしまいます。息子さんの知識の中に強い登校刺激の記憶があるという意味ではないかと推測します。それは不登校の子どもにはよく見られます。

不登校対応の手の内を子供に明かしてしまって、大丈夫なんでしょうか?
子供の心は大人の心と異なる。子供は心が楽になると、子供が持つ本能から、両親特に母親の思いを感じ取って動き始めるという事実があります。
手の内という意味を、この子供の心に沿って理解して下さると答えは見えてくると思います。
不登校の子どもへの対応の手の内(一部)とは
登校刺激を取り除く
子供のあるがままをそのまま認める=共感とスキンシップ
子供の言葉を無条件で際限なく聞き続けて、決して母親の意見を言わないこと
子供からの要求を100%笑顔で即座に叶える
これが不登校の子どもへの対応を始めるための手の内です。
これは大人でも理解が難しいのに、子供はまず理解しません。

大人の心と子供の心との違いから、心が辛い子供への声がけについて、次回に説明したいと思います。