子どもの心に沿った対応

不登校引きこもりだった子どもが少しずつ元気になってきました。
子供の心に沿った対応をしていると、その荒れた時は親として本当に情けない気持ちになりますが、それを耐えて子供の言いなりになったその先の子供の姿は自己肯定感が高まっていますし、母親も子供に対してありのままの子供の姿、生きていてくれたらそれだけで十分だという気持ちになります。それ以外望むことは何もありません。
そんな母親の思いが伝わるのかわかりませんが子供も母親に優しく接してくれますし、また自分のために生きようとしているようにも見てとれます。そして問題行動など微塵もありません。

<解説>

以下は不登校などの心が辛い子どもに関する話です。心が元気な子どもに当てはめても構いませんが、敢えて必要はありません。その子どもの母親なりの対応で大丈夫です。

>子供の心に沿った対応をしていると
常識的には、子どもの我が儘をさせるので、子どもの将来が心配だと考える大人が多いと思います。

子どもの心に沿った対応とは、常識や親の思いに反していても、子ども発の要求を即座に、100%だけ、母親の笑顔で叶えるという意味です。心が辛い子どもは自分発の要求を母親に求めて、父親に求めることはありません。

母親の母性が機能をしている限り、子どもは子ども発の要求を母親に求めます。だだし、母親の母性が機能をしていなくて、父親が代理母の役目をしている場合には、父親に求めることもあります。

>その荒れた時は親として本当に情けない気持ちになります
その時の母親は常識が優先しているときです。子どもの荒れを子どもからの訴えだと理解できないときです。

>それを耐えて子供の言いなりになった
何かの理由で、母性が機能をしだしたときです。その何かの理由は母親によって異なります。あくまでも私の勝手な推測ですが、母親がその子どもを産み落としたときの母親の痛み、辛さを、思い出したとき(勿論母親はそれを意識しないでしょうが)なのかも知れません。

>その先の子供の姿は自己肯定感が高まっています
本当にこの子どもの姿の変化は不思議です。子どもによって実態は異なりますが、母親の思いを感じ取りながら、その子どもなりに自分の将来を探し求めてくれます。子どもにはそのような本能がある様です。子どもを指導しなくても子どもの本能から成長をしようとするのです。

>母親も子供に対してありのままの子供の姿、生きていてくれたらそれだけで十分だという気持ちになります。それ以外望むことは何もありません。
その母親の思いとは、辛い陣痛、分娩の痛みに耐えて生まれた子どもを認識したとき、抱きかかえたときの思いと同じだと思うのです。

>そんな母親の思いが伝わるのかわかりませんが子供も母親に優しく接してくれますし、また自分のために生きようとしているようにも見てとれます。そして問題行動など微塵もありません。
このような子どもの変化も本当に不思議です。母親(代理母でもかなり可能ですが)と子どもとの間でしか生じません。だから第三者(所謂専門家、研究者、学校の先生方など)にはほぼ間違いなく理解できないのです。