子どもの心に沿って(2)

そうですよね、言い方や接し方で効き目?が相当変わってくると思います。
私自身「学校へ行くな」という言い方はなんというか話し言葉として変だなと思っていたので「行かなくていいよ」と言ってました。
それで効き目が減ってしまってるのでしょうか。
一応元気に繭ごもりできてはいるのでそれでも効いてはいるのでしょうね。

<解説>

>私自身「学校へ行くな」という言い方はなんというか話し言葉として変だなと思っていたので「行かなくていいよ」と言ってました。
これは大人の心からの感じ方ですね。子どもの心は受けた刺激、不登校で心が辛い子どもは学校や学校を思い起こす物に必ず反応をします。ただその反応の仕方が子どもの心の辛さによって異なります。母親との信頼関係の強さにもよって異なります。子どもの心の辛さは母親との信頼関係に強く依存(母親からどの程度癒やされているか)をしていますから、母親との信頼関係の程度により異なります。

>「行かなくていいよ」と言ってました。
この言葉から子どもの感じ方は、大人の言葉で表現するなら、「元来学校に行かなくてはならないけれど、今は行かなくて良い」と言うように、反応をします。「学校に行って欲しいのだが、今は子どもが行こうとしないから仕方が無い、行かなくていい」というように、学校という言葉に、学校が存在していることに、強く反応をして、学校に反応をして子供を辛くするトラウマFCRが強く反応をして、行かなくて良いにはそれほど反応をしない傾向が、経験的にあります。

>それで効き目が減ってしまってるのでしょうか。
不登校で心が辛い子どもでは、行かなくて良いと言う言葉の効き目が減っているのではなくて、無くなっています。それほど、学校に反応をして子供を辛くするトラウマFCRの反応力は大きいのです。但し母親と子どもとの間に信頼関係があると、既に母親が子どもに学校に行かなくてよいと母親が思っていることが伝わっていますから、「行かなくていいよ」で母親が子どもに学校に行かない判断をしていると伝わります。

>「学校へ行くな」という言い方
この場合、不登校で心が辛い子どもでは、学校への言葉で、学校に反応をして子供を辛くするトラウマFCRが反応をし始めますが、行くなの言葉で、子どもの心の中で学校という言葉のトラウマを反応させ無くさせます。それと同時に、不登校で心が辛い子どもでは、その辛いと言う時点で既にトラウマが反応しているのですから、その既に反応をしているトラウマの反応も止めてしまいます。不登校で心が辛い子どもの心をとても楽にしてしまいます。