不登校を始めたときに応援する

子どもは、昨年の夏休み前後だったと思いますが、体調不良を理由に早退したり、意地悪される、悪口言われる、陰口言われるなどと言い出し、学校を休みがちになりました。原因を先生に説明し、解決していけるようになったと思うとまた行き渋り、母親が学校まで送っていくのですがお腹が痛いなどの体調不良が出て行けなくなってしまいました。
初期は、母親が、「そのくらいで行けないでどうするの?頑張って行こう?」と言ったり、「なにが嫌なの?どうして行けないの?」と原因を聞いたり、「もう少し頑張って行ってみようか?」と声がけをしていました。しかし子供の辛そうな姿を見続けるのは、親にとっても辛いので、最近は子供を学校に行かそうとして居ません。それでも子供は、子どもなりに学校に行かなくては、と思っているらしく「明日は行く」と言っては、結局当日行けない。ということがあります。
今思えば、夫婦共稼ぎなので、子供が母親と一緒に寝たいのに寝れないなど、たまにそれを理由に子どもに泣かれたりと、今も前もかなり寂しい思いをさせてきたと思います。情報によると、不登校は親の関わり方にも問題があるとの情報も目にして、子どもに共稼ぎのしわ寄せがすべていっていたのかと、子どもに対する罪悪感を強く抱くとともにどうしていいかわからず悩んでいます。

<解説>

>初期は、母親が、「そのくらいで行けないでどうするの?頑張って行こう?」と言ったり
大人には信じられないでしょうが、学校に行きづらい子供は、不登校の子供は、学校で、先生で、勉強で、死ぬほどの辛い思いをしています。学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=FCRが反応をするからです。しかし多くの大人はこの事実を知りません。子供自身も何故学校が辛いのか分かりません。その様な子供にとって、理由は分からないけれど、このようながんばれ、頑張れという大人からの言葉は、これ以上頑張れない子供のあり方を否定することになり、心が辛い子供の心をより辛くします。当然、大人からの目から見て、頑張ることができません。

>「なにが嫌なの?どうして行けないの?」と原因を聞いたり
何が嫌いか、どうして学校に行かれないのか、子供も分かっていません。ですから当然原因も分かりません。子供にとって分からないことを聞かれると、ますます子供の心は混乱して、辛くなります。親の思いを実現しにくくなります。

>「もう少し頑張って行ってみようか?」と声がけをしていました。
頑張って行かれるなら、子供は頑張って学校に行きます。今の子どもはもう頑張りようが無い、頑張っても学校に行かれないのです。子供はよい子を演じて、無理して学校にすら行かれない心の状態です。つまり、このようなことを言う大人は、子供の心を全く分かっていないことになるだけでなく、心が辛い子供の心をますます辛くして、荒れたり問題行動をしたり、心の病の症状を出すようになります。

>子供の辛そうな姿を見続けるのは、親にとっても辛いので、最近は子供を学校に行かそうとして居ません。
子供の辛そうな姿が、母親の母性を機能させたようですね。この一行は、母親の母性が子供を学校に行かそうとする対応から、子供の辛い心を守ろうとする対応に変えてしまったという意味なのでしょう。

>子供は、子どもなりに学校に行かなくては、と思っているらしく「明日は行く」と言っては、結局当日行けない。ということがあります。
子供がよい子を演じている、よい子を演じようとしているときの、子供の心の動きと行動です。子供が安心して学校に行かなくてよいと、よい子を演じなくてよいと思える様にするのは大変に難しいです。それよりも学校の存在を忘れさせる生活の姿をさせてあげるべきでしょう。そのために子供にとって楽しいこと、経験的にはゲームやネットに没頭できるようにしてあげるべきでしょう。