母性

13歳の不登校の娘が居ます。最近自分に母性が足りないことを改めて感じ、何とか娘が以前のように元気で明るく過ごせるようにと思ってきました。なかなか自分の価値観や考え方を変えることは難しいですが、目の前の娘の言動ではなく、状態を見て対応していこうと努めてきました。今回も行き渋り始めた頃に、休むこと、辞めることを提案すればよかったのかとも思います。最後まで自分でやり切ろうとしていた娘に対して、今回かけた私の「学校を休んだら」との言葉は間違っているのでしょうか?失敗は成長の糧とは言いますが、娘はまだ失敗することを許せないでいます。

<解説>

>自分に母性が足りない
子供が持つ本能と同じように、母性とは母親が持つ本能です。母親なら必ず機能をします。しかし母親の本能の母性が十分に機能をしないのは、母性が機能をするのを阻害する物があるからです。それは常識です。常識的な母親は母性が機能をしにくいです。常識を捨てた母親は、母性が機能をしやすいです。

>何とか娘が以前のように元気で明るく過ごせるようにと思ってきました。
不登校の娘の母親が目指す方向性は、これがとても良いです。

>なかなか自分の価値観や考え方を変えることは難しい
知的な母親、所謂頭が良い母親は、この傾向があります。それに対して、なるようになるさと、何何しなくてはならないという常識を捨てた母親には母性が機能をするようになります。

>目の前の娘の言動ではなく、状態を見て対応していこうと努めてきました。
そうですね。子どもの心は大人の心と異なります。子どもは大人と異なって、子どもの言葉通りに行動ができません。子どもの心は表情と行動に出てきます。言葉は子供が持っている知識を表現しているだけです。これは思春期を過ぎて、子どもの心が大人の心になるまで続きます。

>今回も行き渋り始めた頃に、休むこと、辞めることを提案すればよかったのかとも思います
そうですね。トラウマの反応が弱い内に、トラウマが反応をする物から隔離して上げると、それだけでトラウマが消えていきます。しかしそれにはある程度の時間が必要です。

>最後まで自分でやり切ろうとしていた娘に対して
きっとお嬢さんはよい子を演じていたのだと思います。お嬢さんの持っている知識から、またはお母さまの思いを感じ取って、無理をしていたのではないかと推測されます。

>今回かけた私の「学校を休んだら」との言葉は間違っているのでしょうか?
不登校で、学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=FCRが機能をして、お嬢さんの心が辛い状態だったので、とても良い対応だった、とても良い言葉がけだったと思います。お嬢さんの本心に沿った言葉です。

>失敗は成長の糧とは言いますが
これは大人の心、又は心が元気な子どもの心について成り立つ場合があります。不登校で心が辛い子供では、ますますその辛い心を辛くします。しかし、今回のお母さまの言葉、「学校を休んだら」はお嬢さんの心に沿っていて、失敗ではありません。お嬢さんの心を其れだけ楽にしたはずです。

>娘はまだ失敗することを許せないでいます。
そのためにも、お母さまが登校刺激からお嬢さんを守って上げる必要があります。お嬢さんを登校刺激から守るお母さまの対応は間違いではないし、お嬢さんも間違いをしませんから。