ある男の子からの考え方 7(6の続き)

子どもが大人と同じように、言葉から行動をして居るように見えることがあります。叉大人は子どもの発する言葉から子どもの行動を見ようとします。情動行動だと知らないからです。子どもは自分の情動を感じ取って、言葉にすることが出来ます。年齢が進をそれが容易になります。自分の情動を自分が持っている知識と照らし合わせて、言葉を選択して、言葉で表現が上手になって行きます。子どもが自分の情動を言葉にして表現したとき、そしてその際に行った情動行動が、子どもの言葉にしたことと同じだったとき、大人は自分たち大人と同じように子どもが言葉から行動をしたと、意識行動をしたと考えます。その言葉にする前に情動が機能をしていたこと、その結果情動行動をしたことに注目しません。

ですから年齢の低い子どもはその言葉と行動とが異なってくることが多くて、親はそれを責めます。責められても子どもはどうにも出来ないのです。年齢が進んだ子どもでは、自分の情動を的確に言葉に出来るようになります。まるで意識行動が出来るように見えますが、その言葉を発する前に、情動が機能をして、情動行動を始めて居ますが、その説明の言葉からまるで意識行動のように、大人からは思えるのです。

純一君は、学校での辛さから回避行動を、問題行動を、情動行動としてして居たと考えられます。文化祭のテーマを選択するという行動です。純一君は自分が選んだ文化祭のテーマを何かの理由で(純一君の知識の中に合ったかもしれません)見つけたのです。その見つけた内容を純一君の情動が後押ししました。情動行動として表現していました。情動からこのテーマを選択したのであり、大人のように自分の知識から分析して選んだのではありません。ですから、学校側からこのテーマに反対されなければ、純一君は特別何も考えないで、意識をしないで、このテーマに向かっていったはずです。