ある男の子からの考え方 1

ある心が辛い男の子の姿から、心が使い子どもへの親の、特に母親の考え方を、そしてその母親から相談を受ける人がどの様に考えなくてはならないかを述べてみたいと思います。

心が辛い子どもと言う意味は、一日の多くの時間男の子が回避系の刺激を受けていて、回避行動を取っているという意味です。接近系の刺激を受けることがあってもその接近系がすぐに回避系と相殺されて、回避行動をとり続けているという意味です。この回避行動は本能からの行動です。子どもが意識的に行っている行動ではありませんから、大人の感じ方、考え方が当てはまりません。心が元気な子どもという場合、その子どもは心が辛くない子どもと理解して大きな間違いがありません。

子どもと表現して良い子どもとは一応思春期以前の子どもを念頭に置いています。この年齢の子どもは心身共に発達段階に有ります。心だけに注目するなら、心は20歳代まで子どもと同じような成長をしていくことが出来ます。その意味は、心が元気な子どもだと大人と同じような心の動きになりますが、心が辛い子どもだと、その時点までの心の成長が不十分なので、心が元気になりさえすれば、その不足分の心の成長が可能です。心が元気にならなければ、回避行動ばかりをしてしまい、心が成長していませんから社会生活が難しくなります。

>高校二年の純一君は少し線が細い青年ですが、とてもしっかりとしていて勉学に励んでいました。積極性も有り、クラス委員も進んでしていました。秋の文化祭では数名の仲間と役員になって、クラスをまとめて企画を作り、担任と話し合いました。然しその企画の内容が今までにないユニークな物だったので、担任から強く拒否をされてしまいました。

少し線が細いと母親が表現している理由として、一つは身体的に細いという意味もありますが、心に関しては回避系の刺激に対して他の子ども以上に強く反応をして、回避行動を取ってしまっているのだと思います。回避系の刺激閾値が低下していて、回避系の刺激に敏感に反応をするという意味があります。この文章に具体的な反応の例は書いてありませんが、この文章の読み方によってはそれが書かれていると、判断することも出来ます。それを述べてみます。

しっかりとしているという言葉から、純一君は母親の思いに沿った、一般常識に沿った反応の仕方をしていると言う意味です。社会常識から言うなら、とても好ましい子ども、上手に育てられた子どもと、理解されます。純一君が獲得した性格上の長所と理解されます。