ある男の子からの考え方 12

>担任は今年教師になったばかりでした。校長の指示に従うだけで、学生達の思いを代弁することが出来ませんでした。そのために担任と生徒達とがぶつかり教室内が荒れてしまったのです。この事実を知った純一君の母親は、純一君に学校とトラブルを起こしてはいけない、純一君の学校内での評価と、大学進学に影響をするからと、純一君を説得しました。その結果純一君は荒れて自分の部屋に引きこもってしまいました。

もし、担任がある程度経験を積んだ教師、叉は経験を積んだ教師だったとしても、結果は同じだったと思います。現在の教師のあり方として、言葉として子どもを大切にする、子どもが楽しめるような教育をすると言いますが、それは心が元気な子どもについての教師としての考え方で有り、心が辛い子どもへの配慮は殆ど出来ていないのが現実です。

教師として一番の問題点は、教師が子どもについて、心が元気な子ども、心が辛い子どもという概念を持っていないことです。教師は子どもは皆同じように理解しています。子どもの中での違いは子どもの個性からの違いとしか考えていないことです。教室の中では、授業中では、その個性すら無視して、授業を進めることを最優先しています。つまり学校内の管理が最優先しています。そのあり方の総まとめが、校長の姿になってきているはずです。

言葉を換えると、教師になったばかりの教師でも、ある程度経験を積んだ教師でも、経験豊富な教師や校長でも、言葉では子ども一人一人を大切にすると言いながら、実際に行っていることは授業の進行、それを行う学校内の管理が最優先して、それが維持されるように授業を行っているという現実があります。建前では子ども一人一人の授業や遊びを含めた教育を最重点と言いながら、子どもが過ごす、教師が働く場の維持があった後の子どもへの教育や対応になっています。

この現実の学校内の姿は、心が元気な子どもにはそれで良いですし、その子どもなりの成長を可能にしています。所が心が辛い子どもには、この学校の姿がますます子どもの心を辛くする可能性があります。ますます心が辛くなった子どもが学校内で問題行動をしたとき、教師は、教師には問題が無い、子どもに問題があると考えます。子ども達のためと一生懸命な教師に、自分たちの問題点に気づけないし、教師の問題点を指摘してくれる大人が学校内にはいないからです。そしてある時間が経つと、その問題を生じた子どもは教師の目の前から去って行き、自分たち教師がした教育や対応が、どの様な結果をもたらしたのか殆ど実感できないのです。関係した教師には、直に、殆ど、フィードバックされないのです。