母親の一言多いのは仕方がない

大人の心と子供の心と大きく異なることを申し上げました。子供の心が元気なら、子供は大人の思いを受け入れて大人の思いに子供自身を合わせることが出来ます。子供の本心に沿わないことを、大人同士の会話のように言われても、子供の方で適当に聞いてくれます。ただし、その行動はその時子供の心に生じた情動からの行動です。多くの場合母親からの報償(褒められるなど)を求める行動です。ですから多くの場合、母親が持っている知識から子供に向かって発言をしても問題を生じません。

ところが不登校の子どものように心が辛い子供、心が辛くなくても色々と辛い経験をしていて心に余裕が無い子どもでは、その時生じる情動(一応感情と考えて下さい)で反応をします。知識からの反応はないと考えて大丈夫です。ですから母親からの言葉で、子供の心に沿っていない言葉の場合、子供の心が辛くなってしまう場合があります。

そこでブログ中の次の母親からのMSGについて説明してみたいと思います。次のMSGを子供に向かって行ったと仮定しての考え方です。

「学校に行ってほしいとか、勉強してほしいとか思わなくなった。ずっと勉強しなくていい、ゲームなど楽しいことをして家でゆっくり過ごしてほしい。
と言いながら、「自分が納得して、自分なりに前に進んで成長していけばいい」と言っている。

この言葉を心が元気な子供に突然言った場合、子供の方では「母さん何言ってるの?馬鹿なこと言わないで。」と言うような内容の言葉の反応をすると思います。本心から学校生活に喜びを感じて学業を一生懸命にしている子供は、母親の言葉を無視してしまうと思います。勿論殆ど全ての母親はこのような言葉を言わないはずです。

学校生活に余り喜びを感じていない子供では、この母親の言葉を即座の信じないと思います。それでも「そう、じゃあ、ゲームをしようっと」と反応するのではないかと思います。ゲームをしたいのは、子供にとって楽しいことだし、母親も反対をしていないとその時子供は理解するはずですから。

不登校だけれど、母親から不登校を認められて、家の中でのびのびと好きなことをして過ごしている子供では、この言葉で安心してゲームに没頭できて、より心を元気にしていくはずです。ゲームに没頭できて、その後ゲームを卒業して、次のその子供なりの楽しみを見つけられるようになります。但し、母親から不登校を認められていると言うことは、子供はゲームを含めて、既にその子供なりの楽しみを見つけていて、その子供なりに心のエネルギーを高めている段階ですから、その子供の不登校を認めている母親の思いを自分の思いとして再確認したに過ぎないはずです。つまり母親がこの言葉を言っても言わなくても、結果は同じはずです。それでも、母親が学校という言葉、勉強という言葉を使う言葉、前に進むという言葉を使うことで、母親に若干の不信感を生じて、母親が意図した「家の中で、母親の傍で、その子どもなりに成長をして欲しい」という思いが少しばかり減弱したはずです。母親の思いをより子供の心に届かせるには「ゲームなど楽しいことをして家でゆっくり過ごしてほしい」と「自分なりに成長をして欲しい」だけで良かったのです。
ですから、この段階の不登校の子どもに対して、母親の子供を見ない、子供に言わない、母親の笑顔がとても効果的なのです。

不登校の子どもで、登校刺激が身の回りに無いけれど、未だ子供の心に知識として登校刺激が残っている子供では、母親が学校という言葉、勉強という言葉を使う言葉、前に進むという言葉を使うことで、母親に不信感を生じて、母親が意図した「家の中で、母親の傍で、その子どもなりに成長をして欲しい」という思いがかなり減弱したはずです。それでも「ゲームなど楽しいことをして家でゆっくり過ごしてほしい」と「自分なりに成長をして欲しい」の部分は子供の心をとても楽にしますから、母親のこのMSG部分の言葉はないよりは良いはずです。

家の中に、子供の身の回りに登校刺激が未だある不登校の子どもでは、母親のこのMSGの言葉は届きません。この言葉の前に、母親は家の中の登校刺激を取り除く必要があります。

これからは一般論です。母親が子供にあることを理解して貰おうとするとき、そのあることに理由をつけて、意味あることだから受け入れて欲しいと説明します。それは大人同士の間では良い方法です。相手を尊重した方法で、理性的な方法です。しかし子供の場合、説明をつけても、大人のような理性的な理解はしません。その時生じた情動(感情と理解して大きな間違いはありません)で反応をします。そのために子供を説得するのに必要な物は理由ではなくて、母親が子供に生じさせる情動です。例えば母親の表情、言葉の母親と感じられる優しさ、肌の触れ合いなどです。母親と子供とが共感できる状態です。理由は必要ないか、ない方が良い場合が多いようです。理由は子供に理解しなさいと言う母親の意図が強く子供に感じられて、基本的に子供の子供らしさを否定することになるからです。
しかし男性もそうですが、多くの女性はその女性なりの理由をつけて物事を表現することが多いようです。そうやって会話をより楽しんでいる様です。それは大人同士では好ましいことですが、母親と子供という場合、上記の様に子供には必ずしも必要ではありません。母親と子供との触れ合いの中で、必要なことだけを言うので良いようです。しかし多くの母親は、自分の子供は心が元気な子供と考えていますし、多くの場合そうですから、母親が普段の母親なりの姿で子供と接するのは当たり前ですが、自分の子供が不登校などの心が辛い子供と気づいたときには、母親は母親と子供との触れ合いを優先して、会話は必要最低限にした方が(正直ここが一番難しいのは分かっていますが、心が辛い立場の子供を代弁して)良い様です。この必要最低限の言葉とは、基本的に共感の言葉です。

結論として、登校刺激で苦しんでいる子供、具体的な登校刺激でなくて自分の知識の中の登校刺激で苦しんでいる子供には、必要なことだけを短い言葉で言われて、言ったことの説明をしない方が良いです。その事実は母親が経験の中で気づいてくれると一番良いのですが、難しさがあります。