不登校の子供は意思を出せない

>「不登校の子どもは自分の意志が出せない」についても、詳しく解説をお願いできますと助かります。

心は脳の機能です。心を考えるときには脳の機能を考える必要があります。

脳は前頭葉(意識の心と習慣の心)、頭頂葉と側頭葉(知識の心)、後頭葉は視覚の処理の脳で一応心に入れておきません。脳幹とその周囲の大脳辺縁系(命そのもので、命を維持する情動の心)と分けることが出来ます。言葉は言葉という知識の表現であり、言語行動と表現すると行動の一種と考えられます。習慣行動の一種になります。言葉を意識のように考える人がいますが、言葉自体は意識ではありません。大人では自分の意識を言葉で表現することができます。しかし子供では基本的に言葉で意識を表現できません。その点は以下でもう一度説明します。人間以外の動物でもかなり複雑な言葉を持っている動物がいます。しかしその言葉からの意識行動はありません。大脳新皮質前頭前野を持っていないからです。

大人の心と子供の心と異なることは、子供では意識の心が機能をしていない、未だ発達段階で思春期を過ぎないと意識の心として機能をしないことです。つまり大人は習慣の心で行動をして、必要に応じて知識を利用して意識の心から行動をします。子供は意識の心が機能をしていませんから、知識は言葉となって表現をすることができますが、知識からの行動はできません。子供は習慣の心と情動の心で行動をします。しかし、子供は経験不足です。習慣の心だけで行動ができる場合とできない場合があります。習慣の心で行動ができない場合には、情動の心から行動をします。

情動とは感情の広い意味です。ですからわかりやすく感情と表現して説明します。
人は感情をいろいろな言葉で表現しますが、その感情を表現する言葉を突き詰めると、受けた刺激を求めようとする感情(うれしい、楽しいなど)とその感情に基づく行動と、受けた刺激から逃げようとする感情(痛い、嫌だ、辛いなど)とその感情行動に分けることができます。

大人の意思とは、それまで身に着けた知識から意識的な行動が可能です。意識の心が機能をしているからです。ところが子供では知識からの行動は基本的にできません。子供の場合の行動はその刺激を得ようとする、または成長のために自然とわいてくる感情を得ようとする情動行動です。年長の子供では自分の情動行動を、その時までに身に着けた言葉で表現することができますが、大人のような持っている知識からの行動ではありません。

言い換えますと、大人では知識から意識行動をしますが、子供ではその時受けた刺激を得ようとして、または成長から自然とわいてくる感情からの感情行動です。その自分の感情行動を認識して、それまで身に着けていた言葉で説明できる子供もいますが、多くの子供はできないことが多いです。大人になると子供のような自然発生的な何かを求めようとする感情はなくなりますから、大人には子供の意思を理解することが難しいです。ほとんどすべての大人は、大人と同じように、子供が発する言葉を子どもの意思と考えがちです。子供の言葉は、子供の知識の表現だけだということを忘れないようにお願いします。

子供の意思という場合、受けた刺激を得ようとする感情行動と、子供の成長から生じる自然発生的な何かを求めようとする感情及び感情行動です。この感情行動の強さを心のエネルギーと言います。ですから大人の場合の心のエネルギーとは知識から行動をしようとするその強さとなります。大人の場合あの人は意欲的だという表現になんることが多いです。

今後、感情には 「受けた刺激を得ようとする感情を情動の接近系」 と表現します。「受けた刺激から逃げようとする感情を情動の回避系」 と表現します。
子の情動の接近系と回避系には相殺作用があります。つまり情動(感情)は接近系と回避系が相殺されて、残った情動(感情)がその残った分だけ表現され、それに基づいた情動(感情)行動が表現されます。子供の意思は情動の接近系(受けた刺激を求めようとする、成長からの自然発生的な何かを求めようとする感情)ですが、不登校の子供の場合には学校に反応をして子供を辛くするトラウマが機能をして、学校を拒否しています。子のトラウマの回避系がとても大きいので、子供の接近系が機能をしにくいです。子供の接近系が機能をする時とは、子のトラウマの回避系よりより大きい情動の接近系、多くは享楽的なゲームやネット上の遊びのときです。それ以外の情動の接近系(刺激を求めようとする感情行動、子供の成長から生じる何かを求めようとする感情行動)はトラウマから生じる回避系で消されてしまって、見かけ上ないように見えます。

トラウマはなかなか消失しません。ただしトラウマが反応をしない時間が長くなるとトラウマの反応は弱まっていきます。それ故にトラウマが反応をしないように子どもを享楽的なゲームやネットに没頭させる必要があります。もちろんそれ以外に子供を楽しさに没頭する方法があればそれをさせればよいのですが、現実にはそれら以外にないのです。

子供の場合学校に反応をして子供を辛くするトラウマが機能をしない時間が長くなると、子供の情動の接近系(受けた刺激=主として母親の姿、を求めようとする、子供の成長から自然発生的に症状る情動の接近系)の方が大きくなって、子供のほうでゲームやネットを卒業して、子供の意思(情動の接近系と成長をしようとする本能)の方が大きくなって、その子供なりの社会に向かって動き出し始めます。