見ない、言わない、笑顔

また、この記事の娘さんやうちの娘の様に、明らかに以前とは変わりエネルギーが溜まっているなと感じられる状態の子供に対しては「親はなるべく在宅しない方が子どもは復学の可能性が高まる」とはどういう原理なのでしょうか?
1人で過ごす中で自立し成長が促進されて外に飛び立つという事でしょうか?または1人で寂しくて誰かと関わりたい!親はいつもいないから友達に会いたい!等の心理からでしょうか?または臨床のご経験から仰られるという事でしょうか?
この原理を是非教えて頂き、今でもあまり子供を心配はしていませんが、更に親の気持ちが楽になる様に知りたいです!

<解説>

大人と子供とその心は大きく異なっています。全く違うところがあると言って良いほどです。

心には意識の心、習慣の心、情動の心の三つの心があります。

子供は意識の心から言葉にしますが、行動には出来ないと考えて間違いがなさそうです。ですから子供は言葉では大人顔負けの言葉を発しますが、その言葉通りに行動は出来ません。その言葉通りに行動したときには、その行動をすることでその子供なりに母親から報償を得るためです。つまり、次に言います。情動の心からの行動なのです。

情動(広い意味での感情)の心は、大人の情動の心と同じです。大人では感情と理解され感情行動は意識の心で調節されて、そのまま表現されることはありませんが、子供では情動の心は意識の心で調節されませんので、情動は素直に表現されますし、情動から行動をします。情動には接近系と回避系しかありません。接近系の行動とは、報償を得るための行動です。母親から褒められたいという行動です。回避系の行動とは、辛いことから逃げようとする行動です。本能からの行動は接近系の行動です。痛みと否定とが回避系の代表です。

接近系には慣れがあります。同一の接近系が続くとだんだん接近系が弱くなり、最終的には無反応、接近系ではなくなります。回避系には相乗効果があります。回避系が続くと、同一の回避系でも回避系が強まっていき、最終的にはとても強い回避系になってしまいます。大人から見たらたいした辛いことでなくても、それが繰り返すことでとても辛い回避系になってしまいます。それが不登校の原因の大きな要素です。

また、情動の接近系と回避系が同時に存在すると、その情動の接近系と回避系とは相殺作用があります。お互いに弱め合って、その残った方が表現されます。それ故に登校刺激で苦しんでいることもに、母親からの喜び刺激を与えると、その登校刺激の苦しみが弱まり、機能をしなくなり、母親からの喜び刺激から、子供は情動の接近系の行動をすることが可能になります。子供にとって母親からの喜び刺激(母性)は極めて強力です。又尽きることがありません。

習慣の心は、子供は大人の比べて経験不足です。習慣ですから、其れまでしていたようにだけし続けます。この習慣を変化させるのが大人では意識の心であり、子供では情動の心です。それらの心で反応をした結果が新たな習慣の心として蓄積されていきます。但し子供でも特別に訓練された子供がいます。その様な子供はこの習慣の心から大人顔負けのことをします。但しどうしても体格が子供だと言うことから、限界があります。

子供の性格(大人でもその要素が大きいのですが)とは情動の心と習慣の心との反応の仕方です。子供は周囲から刺激を受けるとまず習慣の心から行動を始め、それからほんの少し遅れて、情動の心から行動をします。大人ではまず習慣の心から行動を始め、習慣の心で行動が出来ないときには意識の心が機能をしだして意識行動をするようになります。以上の心の仕組みからお答えすることになります。

>この記事の娘さんやうちの娘の様に、明らかに以前とは変わりエネルギーが溜まっているなと感じられる状態の子供
心のエネルギーとは情動の接近系からの行動です。不登校の子供では子供の周囲に登校刺激が無くなり、後は子供の知識の中に登校刺激が残っている状態です。この知識の中の登校刺激は、子供が何かに没頭していると機能をしません。心のエネルギーが0付近になります。子供が何かに没頭している時間が長いと、子供の知識の中の登校刺激はだんだん弱まるばかりでなく、楽しいことに没頭することで心のエネルギーはプラスになっていきます。子供発の情動行動(子供で言う意識行動)が出てきます。この状態になると、子供には母親からの直接的な癒やしの行動が必要なくなります。しかし母親に守られているという安心感は必要です。

心のエネルギーがプラスになると、母親からの癒やしは必要ありません。勿論あっても良いのですが、そのために母親は子供の近くに居なくてはなりません。母親が子供の近くに居て良いのですが、その場合母親は子供の近くに居ても何もすることがないのです。そのことを母親が子供に伝える良い方法は、子供が何をしているのか見ない、子供が求めない限り話しかけない、母親が子供を信頼しているよと子供が感じる母親の笑顔です。

子供の心のエネルギーがプラスになっても登校刺激がある家の外に行かれるようになるには、家の外にある登校刺激に反応をしなくなるには、結構ある時間がかかります。そのために母親が家の中で待ちつづけるというのも悪くはないのですが、母親にも都合があります。母親も楽しくして待ちつづける必要があります。母親が楽しいと母親の笑顔が増えます。それにより子供はより母親から信頼されていると感じて、自分のやりたいことに没頭し続けます。

>に対しては「親はなるべく在宅しない方が子どもは復学の可能性が高まる」とはどういう原理なのでしょうか?
既に心のエネルギーがプラスですが、未だ不十分の場合です。子供の心のエネルギーが増加するのを母親が楽しく子供の心のエネルギーが増えていくのを待つには、母親なりの楽しさを追い求めて良い段階になっています。しかし子供が求めるときには母親は子供の傍に居る必要があります。それは母親の経験的な判断によるだけで大丈夫です。

母親が子供の傍に居ると、母親の性格上、子供に声がけをしてしまう傾向があります。その声がけが子供の心に沿っていれば問題ないのですが、母親もついつい常識的な発言、子供の心に沿っていない発言をしてしまいそうです。もしそうなら、母親は子供に声がけを出来ない場所に居ると良いです。又このような状態の子供では、それで全く問題ないです。

また、子供が母親の目線を感じると、自分がゲームなどの享楽的な遊びに没頭している姿を母親が好ましくないと感じてしまう場合があります。きっとそれまでゲームばかりをしていると叱られていた経験からではないかと思います。勿論感じなければ問題ないのですが、それ以前の子供の経験からその様に感じてしまう場合が多いようです。母親にその気が無くても子供が以前の経験からその様に感じてしまったら、やはり母親が子供の姿を見ない方が良いです。

その意味でも母親はこの時点の子供から離れて、母親の笑顔が増えるようなことをした方が子供にとっても、母親にとっても楽で良い結果が出ます。そして子供の心が楽になると、子供の学校に向かう本能が機能をし始めるのです。この場合の学校に向かう本能は接近系ですから、登校刺激になりません。但し登校刺激が反応をするトラウマはとてもしつこく子供の心に残りますが、時間の経過とともに弱まっていきます。

>1人で過ごす中で自立し成長が促進されて外に飛び立つという事でしょうか?
子供の本能が機能をし出すという意味です。それを大人の言葉で言うとこのように表現しても間違いではありません。

>または1人で寂しくて誰かと関わりたい!親はいつもいないから友達に会いたい!
>等の心理からでしょうか?
これも子供の本能から説明できます。このように表現されても間違いではありません。

>臨床のご経験から仰られるという事でしょうか?
経験上100%子供では成立します。但し心に関する客観的な証明は出来ません。
つまり心の構造、子供の本能を配慮した結果の提案なのです。