母親への暴言は子どもの意思か?

>「子ども発の意思」とは、母親に対する拒否、暴言や問題行動も「子ども発の意思を表現できている」(つまり良いこと)と理解して良いのでしょうか?
子どもの場合、意思という心の動きとは、何何したいという欲求を生じて、其れを言葉に表現する事です(情動の接近系と、それに基づく言語活動と説明できます)。もちろん言語活動を生じなくて行動に表現されても意思です。子どもの場合、情動の接近系=~したいという子どもの喜びを得ようとする心の動きが無くてはなりません。
暴言や問題行動は、辛い事から逃げようとする、逃げられないで心が辛くなったことからの反射的な言語行動と体の行動です。情動の回避系の心の動きです。

他の言葉で表現するなら、子どもが大人から操作されているのでは無くて、子どもが素直に、建設的な反応をする、叉は言葉にすることと説明できると思います。子どもが否定的、破壊的、迷惑的な反応をするときとは意思とは言えません。回避行動と言います。

>母親に対する無視も、「子ども発の意思を表現している」(答えたくない、答えないという意思表示) と理解して良いのでしょうか?
子どもはその本能から、つまり情動の接近系から、母親に自分の素直な姿を見せ、言葉にしようとします。母親の母性を求めようとします。本能が機能をしている=情動の接近系が機能をしている=子どもの心が辛くないと、子どもは母親との楽しい関係をともめますし、自分からも作ります。
母親に対する無視とは、この本能が機能をしていない、子どもの心が自分の成長を楽しんで居ない、情動の接近系が機能をしていないばかりでなく回避系が機能をしていると言う意味です。暴言や問題行動と表現されるほど回避系が強くは無いですが、回避系が機能をしていて、つまり子どもの心が楽しくなくて、母親を拒否する、母親から逃げ出そうとする、心の動きの表現です。

母親の子どもへの思いや理解が違うよと表現している子どもの心の動きから子どもが強く表現した物が、拒否や暴言、問題行動であり、その程度が弱いのが無視や答えたくない、答えたくないになります。
意思も回避行動もどちらも子ども発ですが、子どもが求めようとするか、逃げようとするか、または心が嬉しいか元気か、心が辛いか、の違いから生じます。