心のエネルギーの分配 6

今一度
物理的エネルギーとは筋力と其れを発揮しようとする性格により異なります。
心のエネルギーとは意欲と表現し直して良いと思います。其れが言葉で表現できるときには意思と表現して良いと思います。
各の物や事象が生じる意欲は情動の接近系に相当します。ある瞬間に表現される行動=反応は意欲の内で一番大きい物=下糸感じる一番強いものです。情動の接近系が一番大きい物です。つまり情動の接近系の大きさとは、そのものが、その事象が、その人にとってどれだけそのものを得ようとするか、その事象を実現しようとするかの大きさを言います。その時生じる意欲の強さと表現できます。

不登校の子供のこころのエネルギーが大きくなったと言うことは、その子どもが何かをしたがる意欲が大きくなったという意味です。多くの場合ゲームなどの享楽的な楽しみの結果心のエネルギーが大きくなってきています。はじめはその心のエネルギーを享楽的な遊びに注ぎます。享楽的な遊びの結果登校刺激が機能をしなくなると、享楽的な遊びに慣れを生じて、他の楽しさを、他の接近系の大きな物を求め出します。多くの場合それでも不登校の子供の周囲にある物は、それほど接近系が大きくないので、其れまで続けていた享楽的な遊びを続けます。ある割合の子どもは何かを見つけて、享楽的な遊びからその見つけた物に持っている心のエネルギーを注ぐようになります。

注釈・・大人でも享楽的な遊びにふけることで心のエネルギーが大きくなります。その大きくなった心のエネルギーをその享楽的な遊びに使います。その過程で自分に加わっていた嫌悪刺激が無くなると、ふけっていた享楽的な遊びに慣れを生じてしまいます。子どもではこのとき別の楽しいことを探しますが、大人では知識を利用してその享楽的な遊びをより発展させようとします。発展させることに自分の存在感を感じようとするようになります。所謂おたくの姿を思われれば良いと思います。

この時期になると親が希望をする事柄(例えば躾や勉学)を与えることが出来ます。不登校の子供の場合、これらの親が希望する物は接近系が大きくないか、回避系の場合が多いです。ですから時期の判断を間違えたら元の木阿弥になりますから、それでも待ち続けるのが間違いない方法になります。