問題行動かテストか 2

次男に向かった暴力の解決法は、暴力そのものを解決しようとすると暴力がひどくなったり、長男の心の状態が悪くなり、長男の問題の解決が大変に難しくなります。長男が辛くなっている原因を見つけて、それを解決するしか方法がありません。しかしそれができないから現在に至っています。今の社会常識を持っている人にはできないのが普通です。できると思っている人は、その原因を間違って理解していると考えて、ほぼ間違いないです。

母親に向かった暴力は、母親がその暴力を認めて(そのために母親は暴力を受けて辛くなります。母親はそれに耐える必要がありますが、耐えられないときは長男から一時的に逃げることができます)、共感し、スキンシップをすることで、長男の暴力を軽減させることができます。それと同時にわからない原因を長男自身が解決できるようになります。

長男はこの事実を知っていません。知っていなくても、本能的に母親に訴えたいのです。最初はそのつらさの程度から長男は母親に暴力をふるいます(この部分を母親へのテストと理解されます)が、その暴力を受け入れられると、それと同時に共感の言葉とスキンシップから、母親に母性を感じて母親に守られようとします(テストに合格する)。

このような理解は母親と子供との間で成り立ちます。子供を守り育てようとする母性と、その母性に守られて成長をしようとする子供の間でしか、成り立ちません。というより、確実になり立つのが母親と子供との関係にある場合です。他人の関係の大人と子供との間でも、その大人が子供の暴力を認め、共感し、スキンシップをすると、効率が悪いですが、子供の暴力などの問題行動を少なくすることができます。ただ、他人ですと母親ほど暴力に耐えられませんし、共感の言葉の効果、スキンシップの効果が悪いようです。それでもその大人に子供が母性に近いものを感じたときには、それなりの効果があります。

母親への暴言や暴力は、子供の辛さを回避するための回避行動です。動物として心が辛い子供の自然な姿です。これを問題行動と表現することができます。その子供の暴言や暴力が母親に向けられたとき、それも問題行動ですが、母親は子供の辛さを母親から持つ母性で解決できますから、心が辛い子供から見たら暴言暴力を受ける母親の母性が機能をするかどうかをテストしているとも理解できます