尿検査

小学2年生の息子A、2年生のはじめから不登校になっています。小学6年生の息子B、時々学校に行き渋るときが有ります。Aに尿検査の連絡が来ました。尿を取って貰おうとして紙コップを渡そうとすると、Aは泣き出してしまいました。尿を検査するという事実だけで、Aには登校刺激になったようです。今まで登校刺激をできるだけ避けるようにしてきたのに、このような事で今までの努力が水の泡になってしまうのでしょうか?私が「ごめんね。検査をしないから。」と言ってAを抱きしめてから食卓のいすにかけていると、暫くして息子が私の膝に乗ってきました。私はAを黙ってハグをしていました。

その後、Bに「明日も朝早いから早く寝ようね」という、どこの家庭でも言っていそうな声かけですが先回りなると思い、言いませんでした。しかし尿検査に関して「明日、尿検査でしょ。」とBに声をかけてしまいました。

学校の提出物があるとつい声を掛けてしまいたくなりますが、Bにも我慢した方がいいのですよね。もしも私が注意をしないでBが忘れ物をしてしまった場合、それは自分の失敗としてBが自分で問題を解決していくのでしょうか?


>今まで登校刺激をできるだけ避けるようにしてきたのに、このような事で今までの努力が水の泡になってしまうのでしょうか?
今までの御母様の努力との関係で考えると、そこまで考えなくても良いと思います。今後はしないようにお願いします。尿検査の紙コップを渡すことは、強い登校刺激となり、Aにとって御母様への不信感の原因になる可能性が高いです。

>、暫くして息子が私の膝に乗ってきました。私はAを黙ってハグをしていました。
Aに加わった登校刺激は消失したという意味です。御母様を信頼しているよと言うAからのサインです。良かったです。でも安心をしないで今後の対応を考えてあげてください。

>「明日も朝早いから早く寝ようね」という、どこの家庭でも言っていそうな声かけですが先回りで
早く寝なさいと言う意味なのですが、学校に行っている子どもには、朝早く起きて学校に行くために、今は早く寝なさいと言う意味になります。Bの心が元気なら、この言葉は問題ないです。Bは不登校ではないですが、心は不登校です。不登校の子供の分類の「恐怖」に相当します。そしてBには登校刺激になります。Bには言わないであげてください。翌朝になって、Bが学校に行けそうと判断したときには、寝不足でも学校に行きますから。

>尿検査に関しても「明日、尿検査でしょ。」と声をかけてしまいました。
だから明日は学校に行きなさい、そのつもりで学校に行きなさい、と言う御母様の思いを伝えたことになります。Bの自分なりの判断を母親が許さないという意味になります。

>学校の提出物があるとつい声を掛けてしまいたくなりますが、Bにも我慢した方がいいのですよね。
Bの心が不登校である限り、実際に学校に行っていても、その方がBが自分で自分の不登校の問題を解決しやすくなります。

>もしもそれで子どもが忘れ物をしてしまった場合、それは自分の失敗として子どもが自分で問題を解決していくのでしょうか?
そうです。
問題を生じたとき、Bがするその問題解決法に親は協力をする必要があります。それも子どもが要求する範囲です。

子どもを学校に行きやすくしてあげるのが、日本の親の美徳です。文化です。それは親の、大人の都合で有り、子どもの心が元気ならそれでも良いのですが、それでも問題を生じる場合があります。先回りをすることは子どものそれをしたいという能力を奪ってしまいます。子どもの心の成長を阻害します。親としてそれは親が気を遣ってあげるから、子どもはもっと先のことをしなさいと言う意味で先回りをするのでしょうが、それは今それをする子どもの能力を奪ってしまいます。それより先のことが出来なくなります。それだけでなく、多くの場合子どもが親に依存をするようになります。 「心が辛い子どもでは子どもを辛くして親に対する不信感を持ってしまいます」 から親と子どもとの心のすれ違いが段々大きくなってしまいます。。