ある男の子からの考え方 26

>華奢な体で無理をしたのが原因で、腰を痛めてしまいました。

 

この言葉は、常識的な大人なら理解可能だと思います。華奢な体、無理をした、腰を痛めた、にしっかりとした因果関係があり、納得できるという意味です。ほんとうに因果関係があるでしょうか?華奢な体の人は肉体労働で、必ず腰を痛めてしまうのでしょうか?もしそうなら、華奢な体の人は肉体労働が出来ないという意味になります。しかし現実に、華奢な体の人でも肉体労働をしている人、辛い肉体労働に耐えられている人はいます。それとは別に、しっかりとした体の人でも腰痛に苦しんでいる人はいます。


まず華奢な体になぜなったかという点を考えて見ます。不登校の子供で無くても、大人でも、辛いストレス刺激を受けると、それを機会に食欲が増進する人もいますし、逆に食欲が低下する人もいます。食欲が飼わない人もいます。つまりストレス刺激が続くと、それを機会に食欲が増える人、減る人、変わらない人がいます。そこには一定の傾向はありません。ストレス刺激が続くことで、ストレス状態が続くことで、それが食欲に影響をする事がありますが、その方向性には一定の傾向がないと言う意味です。そして純一君は食欲が減る傾向の子どもだったという事実だけです。

無理をしたという表現についてです。もし純一君がほんとうに肉体労働をする気持ちがあったなら、無理をしたと表現されるような働き方をしなかったと思います。純一君は仕事をしたくなかったのです。きっと肉体労働から逃げたいぐらいだったと推測されます。それだけの心のエネルギーを持って居なかったという意味です。その結果自分の体の健康を配慮しないで肉体労働をしたから、嫌々肉体労働をしていたはずですから、それだけ早く腰痛が来るようになった可能性があります。

腰を痛めたという言葉から、腰痛を訴えるようになったという意味でしょう。上記のように腰痛から自分を守るような働き方をしなかったから、腰痛を来したという点が一つあります。腰痛を訴える人の腰痛の強さを客観的に測定する方法がありません。当人が訴える腰痛の強さから判断をするしかありません。もちろん腰部の動きを測定して判断する方法がありますが、その腰部の動かし方も、その腰痛を持って居る人の主観の影響を受けます。純一君のような肉体労働をしたくない人の腰痛の訴えは、強調されているはずです。しかし腰痛を持って居たことは事実だと思います。その腰痛の程度以上に腰痛を訴えて、無意識に仕事を辞めたいという訴えをしている可能性が高いです。

純一君の場合、高校を止めるのに両親を納得させるために、高校の代わりとして、仕事を選択しました。仕事を始めて見て、その仕事を辞めるために、腰痛を選択したという意味外が大きいと思います。つまり、純一君が腰痛を訴えることは腰痛をどうにかしてくれと言う意味では無くて、今の肉体労働をしたくない、止めたいという意味だったはずです。