転校

ある人からのMSG

この子は転校したいのではなく、退学したいのだと思います。ですが、親には辞めたいとは言えず、転校なら親を納得させられるのではないかと考えているのではないでしょうか。でも、転校しても通うことは出来ないかも知れません。そうなったときには自己否定を深めることになってしまいかねません。ですので、ここは親が先回りして、退学しよう、私はあなたの心を守りたいと伝えたいです(親の心中はなかなか穏やかではいられませんが)

>この子は転校したいのではなく、退学したいのだと思います
子供の本能として、子どもの集団が好きですし、新しいことを知る学びの場が好きです。これは子どもが持つ本能ですが、大人になると無くなってしまいます。大人は自分が学校に行って大人になっているから、子どもは学校に行くべきだと、考えています。
子どもにこの本能があっても、この子どもは学校が辛くて、その辛さが子供の本能を機能させなくて、学校に行けなくなっています。しかし親から学校に行くべきだという知識をしっかりと教えられているのです。子どもはこの本能の存在を知りません。それ故に言葉では、学校に行かなくてはならない、と言います。

しかし実際に、子供は学校に行けません。親からも学校に行くように責められます。その結果、自分で自分を責めて、其れでも子どもは辛くなっています。そこでせめて親も自分も、今の学校に行かなくても良いと思えるようになるには、今の学校に行かない代わりに、他の学校になら行くと言う言葉を思いつきます。本当は今の学校に行きたくないのです。そして行けないのです。そして転校してその学校に行くかどうかは、別問題なのです。その転校先がどうなっているかも分からないで、転校を希望していると言うことは、今の学校から逃げたい一心からの言葉です。

この子どもの心の動きから、家庭内で親より立場が弱い子どもは
>親には辞めたいとは言えず
となります。

>転校なら親を納得させられるのではないかと考えているのではないでしょうか
親から今の学校に行けという責めを回避するためです。今の学校にはいけないと言う意味を納得させるためです。

>転校しても通うことは出来ないかも知れません。
不登校の子供は、学校に反応をして子どもを辛くするトラウマ=fecorを持って居ます。何処の学校に行っても、学校である限りこのfecorが反応をして子供は学校に行けません。このfecorから生じる辛さ以上に転校をした学校が楽しければ、通学可能ですが、日本中の学校の仕組みはほぼ同じで、それを期待できません。

転校をしても、しなくても、子どもは親からの責めで辛くなり、親の期待に応えられない自分を責めてしまいます。自己否定の状態となります。この自己否定は人間を最も辛くするものの一つです。この事実を知っている人も少ないです。強い自己否定は自殺に通じます。日本の子どもの自殺で、原因が分からない自殺の大半は、自己否定からの発作的な自殺です。

>そうなったときには自己否定を深めることになってしまいかねません。
つまり子どもの命の危険を生じると言う意味です。

>ここは親が先回りして、退学しよう、私はあなたの心を守りたいと伝えたいです(親の心中はなかなか穏やかではいられませんが)
家庭内では、子どもは親より立場が弱いですから、そして子供が学校に行かないと言うことは、子どもが既に学校に行かないと意思表示をしているのですから、親が学校に行かせないという選択をする必要があります。言葉の上で子どもは学校に行かないと言えないので、親が学校に行くなと言ってあげる必要があります。

学校に行かないことを親からも責められない、自分からも責められない、と言う意味です。その結果自己否定が無くなり、学校に行っていないけれど今までの子どもに戻れるという意味になります。
学校より、子どもの命の方が大切だという親の姿から、子どもは親を信頼して、その子どもなりの生き方、成長の仕方を模索しますが、そこまで子どもの心が元気になるには、一端学校を忘れなくてはなりません。