子どもの成長

ある不登校の子供を育てている母親の言葉の一部です。内容が多くの人に分かりにくいので、解説してみます

>子ども達が置かれている環境が、学校だけではなく、家庭も、子どもが動物としての本能からの活動、情動からの活動を妨げてしまう世界になっていること感じる様になってきました。簡単に手に入るようになった世の中に溢れている情報や知識や物が、その人にとって必要のないものまで常識として持っている大人の心を支配しているため、子どもの動物的な行動は許されなくなっている。それが、世の中の常識として成り立っているため子ども時代に十分経験し、発達する必要がある本来の本能からの心が育ちにくくなっている。

世界の子ども達の環境について当てはまるとは限りません。日本の子ども達の環境について、母親が感じたことだと思います。子どもが置かれている環境の主な部分、子どもが多くの時間を過ごすところと言うと、家庭と学校でしょう。子供が学校に行くまでに育ってきた家庭の中に問題が無い(母親の判断で)けれど、子どもが学校に行きだして、不登校になって気づいたことという意味だと思います。
親は子どもにとって今まで出来なかったことが出来る様になって、その成長を喜んでいます。その成長の中で、今まで出来ていたことが出来なくなった子どもに気づいて、そこで出来なくなったという観点で無く、なぜ子どもが出来る様になるのか、出来ることが増えてきたのかを、多くの人が気づかない観点から見直しているのだと思います。
多くの人は、子どもの年齢が進めばその年齢なりのことが出来ると、理由も無く考えています。その年齢なりのことが出来ないときは、親が、大人が教えることで出来る様になると考えています。其れが当たり前だと考えています。その根拠は親自身が其れをしてきたし、周囲の大人も其れをしてきていると言う事実からでしょう。しかしそれは大人が子どもを大人の知識から観察して、自分の子供時代を大人の心で思いだして、判断しています。
子どもは未だ成長過程にいます。体が成長すれば、体について、其れまで出来なかったことが出来る様になります。体について、大人の観察や子ども時代の経験は役立ちます。子どもの心は大人と異なります。なぜなら心は脳の機能だからです。脳も年齢とともに成長をします。ですから心も年齢とともに成長をします。つまり、身体の成長も、心の成長も、人間の子どもが動物の子どもだから、大人と異なるという意味です。
本能は情動の一つです。ですから本能を情動に含めて考えます。子どもの成長過程の脳と大人の脳との違いは、大脳新皮質の成長の違いです。その結果子どもは知的な行動をしないか、とても下手で、子どもの行動の大半は、情動からの行動だと言うことです。それに対して大人は知識からの行動が主となっています。
心の成長とは、子どもの情動からの行動が子どもの喜びの形で行われ続けて、それに伴って知識を蓄えていき、大人の心になったときにその知識からの行動が可能になる様に、子どもの心は育って行く必要があるという意味です。所が現実では、子どもの情動が無視をされて、子どもの知識ばかりが重要視される様になっています。情動が無視をされて育った結果、大人になったときに子どもが身につけた知識からの行動がうまく出来なくなっている事実があります。

子ども時代に知識を利用した(知識からでは無い)行動に喜びを感じる(主として母親が与える)様に育って居れば、大人になって自然と知識からの行動が出来る様になるのに、子ども時代に知識から行動することばかりを要求されて、知識から行動をしないと罰を与えられる状況下で子どもが育つと、知識から行動をする事に喜びを感じられないばかりか、知識から行動することに拒否反応を生じて、子どもが大人になったときに、知識からの行動が出来なくなるか、下手になってしまうと言う事実があります。