仲間を求める

良くある相談に

一緒に話ができる仲間が欲しいです。自分の気持ちをわかりあえる人がいてくれたら話ができてだいぶ救われます
そのような人がを探していますが、見つかりません。
その様な人が見つかったら、子供に傾聴で接するようにします。子供の話聞いてあげるようにします

というメールを受けました。これについて解説して居ます。

>一緒に話ができる仲間が欲しいです。
子育て中の常識的な母親なら自然の発想でしょう。子育てをすると言うのは、日々対応が異なります。自分の対応が正しいのかどうかを判断するのに、他の経験者の判断を利用しようという意味です。それ自体は悪いことではないのですが、子育てというのは子供と母親の関係です。

子供はその本能からの欲求をいろいろな形で表現します。それを多くの母親は母性で感じ取り対応をします。けれど現在のように知的な母親が多くなると、子供の本能からの欲求を母親の知識から判断して対応をしている母親が多くなっているようです。知識としては主として育児書で有り、経験者の意見で有り、所謂専門家の意見です。

>自分の気持ちをわかりあえる人がいてくれたら話ができてだいぶ救われます
不登校の子供を持つ母親が仲間を欲しいと言う場合、その対応で辛い思いをしている母親に共感してくれる人が欲しいと言う意味でしょう。不登校の子供を育てている仲間なら、そうでない人たちの仲間より、共感を受けやすい、その結果心が楽になりやすいという意味だと思います。この発想は常識的に間違いでは無いですが、不登校などの心が辛い子どもから言うと必ずしも、子供の立場から認められる物ではないのです。必ずしもと限定表現を付けたのは、不登校への対応の中で、母親がどの様に変わったかの子供の判断に起因しています。それについては次回のMSGで述べます。

>そのような人がを探していますが、見つかりません。
不登校の子供を育てている母親にとって、自分の子供への対応で、思いで精一杯なのです。自分の訴えを聞いてくれる人を求めて居ても、他人の訴えを聞いている余裕がありません。現実問題として不登校の子供を育てている母親の訴えを聞いてくれるのは、それを商売としているカウンセラーだけでしょう。

>その様な人が見つかったら、子供に傾聴で接するようにします。
と言うことは、今は子供に傾聴をしていないという意味ですね。不登校問題の解決は母親だけにしか出来ません。その母親が不登校の子供の訴えを傾聴していなければ、不登校の子供は次から次へと母親にテストをします。多くの場合具体的な言葉では無くて、その行動で、その反応で、自分の訴えを聞いてくれという意味のテストです。

子供としては子供からのテストに母親が合格してくれれば良いだけなのですが、母親の方でそれをテストとは理解しないで、子供の問題行動と理解しています。母親を苦しめる問題行動だから、この問題行動が無くなれば、母親は自分の子供に向け合えるという意味です。母親の立場から言うなら、問題行動が無くなるのが先でその後に母親が傾聴をするなどの、子どもの心に沿う対応をしようという対応になります。子供の立場(これは意識に上りません)から言うなら、子供の問題行動をテストだと母親が理解して、そのテストに母親が合格するのが先なのです。

もちろん母親が誰か仲間を作って心が楽になれたときに、子供の訴えを素直に聞くという対応は間違いでは無いですが、それを可能にする仲間が現実にいない(自分の子供のことで精一杯)のです。カウンセラーも所謂専門家も、不登校の子供の心に沿わない対応ばかりを教えてくれますから、母親の希望に添える仲間になり得ないようです。

>子供の話聞いてあげるようにします
不登校の子供を元気にするには、現実的にこれが対応の第一歩なのです。この第一歩を母親がどの様にして踏み出すのかの問題ですが、これを可能にしてくれる仲間が日本中に殆どいない、ある意味で皆無だという事実があります。