母親がテストに悩む

>では、その母親の辛さはどのようにして、癒されたら良いのでしょうか。
どういうわけだか分かりませんが、そして経験的にですが、母親の辛い訴えを無条件で聞き続けてあげると、母親は自分でその辛さを解決できるようです。

>母親も、自分で自分の辛さを軽くすることを、まず先に悩むべきではないでしょうか。
子育てについてはその通りなのです。
ただ、母親が常識から子育てをして、その常識に捕らわれすぎているときには、母親の思いが堂々巡りになってしまいます。その時は誰かが母親の常識を取り除いてあげる必要があります。

>母親が「こどもと向き合うぞ」と感じられるまで、そしてこどもは、気が済むまで、家で、つらいつらいと、泣いて、暴れて、吐き出していれば良いのではないでしょうか?
その間、母親は辛い状態が続きますが、それが不登校問題解決の入り口だと思います。

>何年たっても、荒れるのならば、それだけまだ吐き出せてないものが、あるのかな、と思います。でもそうやって表現してくれたほうが、母親もわかります。
そうですね。そうやって子どもが荒れることで、母親の考え方、感じ方が子供の心に沿っていないことが分かります。母親が持っていた知識と異なる対応が必要なことが分かります。

>テスト、よい子、などを母親が都度都度考えている暇はないと思っています。
そうですね。子どもの不登校問題の解決で精一杯で、母親は悩み苦しみ続けるのですから。その都度考えられるようだと、不登校問題の解決の方向性が見えてくるはずです。

>それは、所謂専門家が持って居て欲しい物です。母親としては、ただ、こどもを、そうなのね、ああ、そうなんだ、と現実を受け入れようと思えばよいだけだと思います。そこに母親の物差しはいらないんだと思います。
母親についてはその通りです。ただ、母親が常識に捕らわれているとき、母親から納得してその常識を取り除くために、話し相手になる人がこれらの概念を用いれば良いので有り、基本的に母親に必要ありません。
でも、母親として少しでも辛い不登校問題の解決に近づいているという安心感のための尺度が欲しいようです。私はその尺度として、心のエネルギー、または、自分発の意思からの行動、をあげています。

>そうした対応の結果、だめなら、だめで、また、やり直せばよいと私は思っています。
そうですね。そうやって子供の心に沿うにはどうしたら良いかを母親なりに知る必要があります。所謂専門家からの受け売りですと、どこかのぼろが出て、子供が納得しないことが多い様です。