学校を休む1

>子どもが学校に行きたくない、と言って、子どもの言うままに休ませて、最初に1週間休んでしまったから、とか、1か月も休んでしまったから、1年も休んでしまったから、余計に行けなくなってしまう、ということは無いのですか?
子どもの本能を客観的に知る、証明することはできません。しかし経験的に知ることができますし、ほぼ間違いなく存在すると思います。不登校を理解するうえで重要な子供の本能とは
1)子どもは新しい知識を知りたがる
2)子どもは同年代の子どもの集団が好き
3)子どもは自分が属する集団に順応しようとする
4)子どもは母親と認識する人を信頼しようとする、大好きである
これらの本能は、動物が自然淘汰の中で身に着けたものと考えられます。言葉は違っていても、ダーウィンの進化論と同義語だと言って良いと思います。

>子どもが学校に行きたくない、と言って
子供は学校に行きたいのです。しかし学校内に、子供が学校に行けなくなるような何かがあるから、子供はその本能に反して、学校に行きたがらなくなります。ですから大人の目から見た子供の姿は「行きたがらない」にみえますが、子供の心から言うなら、学校内に何か辛いものがあって、または学校自体が辛いものになっていて、その辛さが学校に行きたいという本能からの欲求より強いから、子供は学校に行かれません。けれど子供は自分の心の中で何が起こっているのか分かりません。その様な子供自身の姿を親や他の人が理解出来るよう説明するために、「学校に行きたくない」という言葉を子供は使っています。

子供は「学校に行きたくない」という言葉を使っても、子供の本心は学校に行きたいのです。学校に行きたいけれど学校に行けない理由も分からないまま、学校に行こうとしても行けない自分を説明するために、学校に行けないことを理解して貰うために、この言葉を用いています。

>子どもの言うままに休ませて、最初に1週間休んでしまったから、とか、1か月も休んでしまったから、1年も休んでしまったから、余計に行けなくなってしまう、ということは無いのですか?
子供の本能から言うなら、学校に行くことが辛くなかったら学校に行きます。子供自身が学校が辛いところでないと理解出来たら、子供は学校に行こうとしますし、行きます。子供の心が辛くなくなったら、子供の本能が機能をし出したら、子供は勉強を求めて、友達を求めて、学校に行こうとします。

以前から大人の心と子供の心と異なる事を申し上げてきています。大人の心ですと、大人の感じ方ですと、学校を休んでいると、休むのが当たり前になり(休み癖と表現する大人がいます)、子供が学校に行こうとしなくなると思います。所が子供の方では、学校が辛い間は学校に行こうとしませんが、学校が辛いところでないと分かると、勉強が遅れていてもその勉強を求めて、そこで学ぶ友達を求めて、友達と同じように成りたくて、学校に行こうとするのです。