教育システム

不登校に対する見方に関して、社会も時には本当に少しだけでも変わってきていると信じたいです。
日本は、昔ながらの教育システムを変えることをただ、面倒だから、都合がわるいから、現状につかっているだけなのでしょうか。
そこに、子どもや、親があわせてくれさえすれば、どうにかなると考えているのでしょうか。
でも、だんだん、どうにもならなくなってきているのでは、ないでしょうか。

という意見に対して、私の経験からお話しさせて頂きます。

不登校に対する見方に関して、社会も時には本当に少しだけでも変わってきていると信じたいです。
極めて意地悪な表現をすれば、時代とともに社会を構成する人が変わってきています(以前社会を形成していた人はいなくなり、新しい人に置き換わるという意味です)から、新しく社会を構成している人により異なってきます。どれだけ変化をもたらすのか、それは判断する人で異なります。全く同じ出ないことは事実です。でも根幹にある考え方が共通して居る、旧態依然という点はあると思います。

そこで子供の問題にこれを当てはめてみますと、子供の変化は昔と今とでは桁違いに変化しています。しかし学校のあり方については、授業の内容は変化をしていても、根幹にある学校のあり方、子供への管理のあり方は100年以上前と同じです。子供達にとって、教育制度より、子供達への管理のあり方の方が遙かに影響が大きいのです。

>日本は、昔ながらの教育システムを変えることをただ、面倒だから、都合がわるいから、現状につかっているだけなのでしょうか。
枝葉は変わってきていると思いますが、教育システムと言って良いのかどうかわかりませんが、教室内でのあり方は基本的に変わっていないのです。教室内以外のあり方は、色々と工夫をされてきています。それは行政や多くの大人達(選挙権がある)には良いのでしょうが、教室内で育てられている子供達にとって良いかどうかの判断が大変に難しいです。少なくとも不登校の子供、虐め、虐められの子供が出ていると言う点で、教室内での子供達への学校の対応が問題であると言って良いと思います。
子供達にとっての一番の問題点は今の教室内のあり方が、学校が出来た頃と同じかそれ以上に辛い教室内のあり方になっていると言う点です。それを大人達は子供の性格、育ちなどに、原因を転化して、教室内のあり方をせいぜい少人数にするとか、副担任を置くとかと、目先の変化しか対応をしようとしません。

>子どもや、親があわせてくれさえすれば、どうにかなると考えているのでしょうか。
現実に今の学校に合わせられる子供が大人になって今の社会を牛耳っていますから、叉多くの親が子供にそれを目指しているから、それにより苦しむ子供が出ていて、その割合が増えてきているという事実があります。
そこで今一度、子供の立場から言うなら(大人から見たら見当違いのことになりますが)教育制度はどうでも良いのです。現存する教育制度をその子供なりに利用しようとします。学校内で楽しく過ごして、大人になり社会に出て行けたら良いのです。でも現実は学校内で評価され、それにより子供の将来が振り分けられ、意気揚々と社会に出て行ける子供と、只単に社会に押し出される子供とに別れてきます。もちろんその中間もありますが。

>でも、だんだん、どうにもならなくなってきているのでは、ないでしょうか。。
どの子供にも当てはまる学校制度や学校のあり方はないと考えた方が良いです。今の教育者はあたかも子育てを粘土細工から造形を作るように考えているようです。文化的に子供に一定の傾向がありますが、その傾向から外れている子供がいますし、その割合が増えてきているという事実を無視しています。