子供の意思 追加

数多くの不登校の子供への対応を母親にアドバイスしてきてはっきりと言えることは

不登校=子供の問題、解決しなくてはならない問題、学校に戻さなくてはならない問題

と多くの大人がとらえていることでしょう。

たぶん戦前までは、学校は読み書き算数ができるようになれば良い、その中で成績が良い子供が進学して、学校が押しつける知識を身につけ、社会について選ばれた人の地位に就き、良い収入を得る姿を考えていました。子供の多くは今の小、中学校で卒業をして、就労して、単純労働や兵役に就いて、日本を支えました。

学校から押しつける知識がどんどん増えて、今の子供達は消化不良を起こしていても、どんどんテストで選抜をして、知識を身につけた人は進学し、知識を受け入れられなかった子供(本当は結果的にですが)学校嫌いに、そして最悪の場合不登校になっています。不登校になっても子供達は昔の子供と違って、既に読み書き算数はできるようになっています。昔の子供と違って、不登校になった子供は、学校に拒否反応を起こしていることです。

その学校に拒否反応を起こした子供を、昔の子供と同じように学校に行かないと読み書き算数ができない、社会に出て行っても生活ができないと、学校に引き出すことで、子供が帰って社会生活ができなくしてしまうか、心の病の症状を出すようになっています。

学校の知識を身につけて、進学できる親は、今の学校制度をもっと強化することを求めています。学校の知識を身につけて教育行政に関与する役人達は、それに協力をしようとしています。学校で苦しむ子供達の思いを受け入れようとする人がいないから、今の学校制度が変わりようが無いばかりか、ますます学校の知識を受け入れて成績を伸ばす子供と、学校からの知識を受け入れられなくて(本当は結果論ですが)苦しむ子供とを作っています。

もちろんはっきりと二極分化をしているわけではありませんが、学校からの知識を受け入れて進学する子供の中にも、本当は学校からの知識を受け入れられないけれど、受ける試験に必要なだけの知識を何とかして取り入れてこと無く社会にまで出て行ける子供もあり、その程度もいろいろです。多くの人は子供が学校に行っているか行っていないかという表面的な事実だけで子供を判断している傾向があります。その中間の子供のあり方も悪いことでは無いのですが、子供の心という意味では、本当にかわいそうです。それでもやっと社会に出て行ったとき、それまでその子供が経験していなかった新しい経験に自分らしさを見つけて輝ける大人になれることも事実です。

申し上げたいことは、学校で苦しんで学校に行けなくなった子供の姿ははっきりとわかります。学校に行けなくなった子供について、親だけは子供の何かが問題で、それをただして学校に戻そうとしない方が、子供の将来かが開けるという事実です。子供が命をかけて学校を拒否している学校に、子供を戻そうとすると、子供の心はいわゆる死んだ状態になります。場合によっては本当に死んでしまいます(原因不明で自殺する子供の自殺の原因はこれだと思われます)。そのような子供を守ることが今必要とされていると言うことに、世の中が気づく必要があるのですが、その気配すら無いのが現実です。