見方を変えた 3人の子供の不登校

不登校の子どもについての検討会で時々話題になることです。それは子供はなぜ学校に行かなければならないかということです。

子供の本能として、子供は同年代の子供を求める、あたらしいことをするのがすきだ、与えられた環境に順応しようとする、母親を大好きだ、と言う物があります。この証明をする方法はありませんが、進化論と同じように自然淘汰の原理から導き出されます。

この子供の本能を満たしてくれるのは学校ですし、今の日本社会ではこの子供の本能を満たせる学校が日本中にあります。ですから母親も子供が自然の姿で学校に行ってくれると安心していられます。ただしその場合の学校とは、子供のための学校、学校にいる子供の心に柔軟に対応ができる学校です。先生方もそのつもりでいらっしゃることはよくわかっています。

ところが現在の学校と子供との関係は、学校のための子供達になって居ます。学校の存在のために、学校を管理するために、子供を教育しています。勿論学校の活動が全てそうでありませんが、学校内に何か問題を生じたとき、子供達のために先生方が対応をされるのはよくわかっていますが、学校の存在が優先されて、子供達の心が無視されてしまう場合があります。

学校内に何か問題を生じたとき、先生方は子供達のためにと行う対応が、時に子供達のためではなく、学校の維持のためにとなって居る場合があります。きっと先生方はそのことに気づいていらっしゃらないのだと思います。気づいても少数の子供達のために、そのための対応をする時間的な余裕がないのだと思います。

現在の学校制度は100年以上前に作られました。当時は未だ貧しくて、子供達が学校に行く喜びを感じていました。ですから学校から見たら生徒達とひとくくりにすることが可能で、そのひとくくりにした生徒への学校のあり方を考えれば良かったのです。ところが現在、学校に通ってくる子供達は多様性に富んでいます。それでも学校は生徒達とひとくくりにした学校のあり方になって居ます。その結果、今の学校に合わない子供達が出てきています。それでも学校は、今の学校に合わない子供が問題だとして、子供達を学校に合わせようとする対応が優先されています。それをされた子供達には、学校が辛い場所になって居ます。