不登校の子供の母親からの相談です。子供が朝起きてきて、その晩見た夢を話してくれました。

ここで夢について、生理学的な説明をしておきます。人は眠っている間に、ほぼ15分おきぐらいに夢を見ています。その夢の内容は、その人の経験や知識のモザイクで、基本的に意味がありませんし、ストーリーをなしていませんが、ストーリーのある夢を見た場合には、夢を思い出したときにその人なりにつけた物です。もちろんそのことを当人も気づいていません。断片的な夢の内容にストーリーをつけただけです。現実の夢は皆さんが思っている夢と異なります。

次に夢は何度も見ますが、見た夢は夢が終わった時点で忘れられてしまいます。記憶に残ることはありませんが、記憶の中に使われた事実に何か余韻のような物が残るのかもしれません。いずれにしても夢として記憶に残るのは最後に見た夢でそれも夢を見ている最中に目が覚めた場合です。

子供の夢の話です。
学校へ行ったら、みんな何かをしていて、自分は何をして良いのかわからなかった。何をしているのと聞いても、誰も教えてくれなかった。すると先生が来て、みんなをどこかに連れて行ってしまって、教室には自分だけが残ってしまい、悲しくなって、泣いてしまった。

この夢から何を考えるかです。
子供は学校に行く意味がわからなくて、学校に行きたくない
学校の中で子供が孤立している
先生に不信感を持っている
学校が辛くて、学校にいると泣きたくなる
このようなことがわかってくると思います。

ここで大切なことは、子供がこれらのことを意識していません。子供はこれらのことを意識していないけれど、潜在意識にこのようなことがあるということです。潜在意識にある、つまり目覚めているときにはこれらの記憶を言葉にすることはない、何かの理由でこれらのことをこれらの思いを表現しないようにしているのです。ところが眠っているときには、これらのこれらの内のいくつかの記憶が断片的に追憶されて、意識領域に上がってきます。その状態で目覚めると、意識領域に上った物、短期記憶に残っている物などの間で、その子供なりに素直な表現を作ってしまっています。

子供に限らず、夢は必ずしも事実ではありません。しかし封じ込めていた記憶の一部が思い出されていることは事実です。その封じ込められていた事実をつなぎ合わせて言葉にするのは、普段その人が思っていたことに沿った物になります。そのような意味で、その人の深層心理を表現している可能性があります。あくまでも可能性です。子供の場合はそこに利害関係がありませんから、自然態の思い出した事実からの言葉ですから、大人以上に子供の本心を表現している可能性が高いです。

この子供の場合、学校に行っていても、心は不登校、学校に行かれない状態で、今は学校に行っていても、学校に行かれなくなるのは時間の問題だと理解されます。不登校の分類3の子供の姿です。