知識からの登校刺激

以下は私なりの判断です。証明することはできません。でも私なりの判断で多くの母親に試みてもらい、その母親に納得して盛られているという事実を積み重ねています。ですから私なりの経験的な事実を私なりに理由をつけてお話しします。
その際に限定条件があります。ここで述べる子供とは小中学生です。高校生となると若干大人の要素を考える必要がある場合があります。母親とは、子供の辛い心を守ろうとする意欲を持った女性です。以前でもあったのですが、子育てをしている母親で、子供の心に関心を寄せようとしない母親は対象になりません。

>自分で登校刺激を作り出しているんだと思います。
それは現象的にあります。現実に子供に学校に関係する物を与えなくても、子供に登校刺激が加わっている場合があります。
では、子供に自然発生的に登校刺激ができるかというと、つまり本能からの登校刺激があるかというと、それは子供は子供の本能を満たしてくれる学校が好きだというのがあります。それ自体が学校を拒否する原因になりません。何か大人の気づかない、当人も気づかない、なにかがあって、それが学校と結びついて、登校刺激になっているようです。

>日本に産まれ、日本人である以上、常識と言われる年齢相応の生活から外れるのは、いくら小さい子供であっても心底穏やかにはなれないと思います。
これは説得力のある説明ですが、これだけでは全てを説明できません。不登校の子供でも不登校の子供でなくても、この条件から学校に行かなくてはならないと思って良いはずです。確かに子供の持つ本能の結果、子供は学校に行きたがります。しかし行かねばならないという、義務化した思い出はありません。学校に行かなくてはならないという義務化した思いがなくても、子供は自分から勉強をして、自分から社会性をつけていきます。

そこで夏休みを考えてください。学校に行っている子供は夏休みだからと言う条件が、この学校に行かなくて良いという思いを機能させなくできます。不登校の子供の中には、夏休みになると落ち着いて、不登校の子供らしくなくなる子供もいます。つまり子供を苦しめているのは、義務化した学校に行かなくてはならないという思いを実現できないことで生じる葛藤も子供を辛くしているのです。

>いくら親が学校へ行くなと言おうが、行かせまいが、学用品を処分しようが、必死に登校刺激を排除しようとしようが、本人が自分で作り出してしまう登校刺激はどうしようもないと思います。
おっしゃっていることは、日本の子供には義務化された学校に行きたいと言う思いがあるという意味ですね。その通りだと思います。ですから子供の本能からの学校にいきたいは脇に置いておいて、義務化された学校に生き体を思い出させないようにする必要があります。この義務化した学校に行かなくてはならないという思いを思い出させないような対応をしていても、学校を思い出してしまったというのがこの症例なのだと思います。

>そして、その子供が自分から作り出す登校刺激は、親は否定し続けても意味がないか、むしろ余計に子供が登校刺激を作り出すようになるだけだと私は思います。
そうですね。この際に二つの可能性があることも念頭に入れていただけたらと思います。
一つは自分から作り出す登校刺激が辛くて、その辛さの解消を母親を利用してしている場合です。その場合に親が辛いことを否定すると、辛さで苦しんでいる子供を否定することでますます子供を苦しくしてしまいます。ただ、親が子供の辛さを否定するとますます子供が辛くなるので、その場で、または時間をおいて子供は母親に問題行動をするはずです。その点がこの症例には書かれていませんね。なかったのか、あったのに書いてないのか、それはわかりません。