学校改革 について意見3

>新しい学校の考えは勉強と距離を取る教育をする、楽しいを追求するようなもの、常識をくつがえすようなもの、うちは学校にいくというはなしすらしませんが。大人の事情のための学校になっていて魅力がないですね。

>楽しいを追求するようなもの、常識をくつがえすようなもの
子供は本能的に勉学を求めます。勉学に楽しさを求めます。ですから、子供を責めないような勉学なら、子供の方から勉学を求めていきます。その勉学を求めていく過程で子供が辛い経験をしても、その辛さを何かで解消できたら、子供は勉学を続けていきます。

このことを踏まえて、公立の学校(私立の学校は今配慮しません)のあり方を考えてみます。
1)公立の学校は税金を使う関係上、大人の最大多数の意見に従う必要があります。現実は所謂専門家達の考え方に沿うのは仕方がないことでしょう。それでも地域性を含めて、その内容に違いが出てくるのは仕方がないことですし、又其れで良いと思います。
2)親は子供が学校に通っていると安心している傾向があります。日本の親に特徴的なことかどうか分かりませんが、親は子供への知的な、感覚的な、行動的な教育を学校に丸投げしているように感じられます。それでも知的な教育を、感覚的な教育を、子供に習い事をさせると言う形で補う親もいます。行動的な教育をそれなりの活動組織に参加させる形で起きなおうとする親もいます。
3)ここで考えなければならないことは知的な教育、感覚的な教育には競争を伴う場合が多いという問題があります。行動的な教育の場合、ある型にはまった価値観からの行動の教育になり、子供の素直な成長を妨げている場合がある事実です。この三つの教育が動じ並行的に成されていますから、子供への考え方がとても複雑になります。
4)競争で勝ち残れる子供は競争に勝つ楽しさを追求できて、その能力を伸ばすことが出来ます。競争で勝ち残れない子供は競争に勝つという意味での楽しさはありません。場合によっては競争に勝てないという自己否定から、辛い思いをする子供も出てきます。行動的な教育は子供としての素直な行動を阻害してしまう可能性があります。その結果として大人から見たらできの良い子供と理解されますが、その子供特有のその子らしさを否定されることで、辛い思いをしている可能性があります。
行動的な教育について行けない子供とは、行動的な教育について行けない、その行動を受け入れられない、と言うことであり、その子供の能力の問題ではありません。自分の持っている行動能力を優先して、教育として教え込まれる行動的な知識を拒否しているだけです。すでにある自分なりの行動を優先しています。子供として自分を大切にすることを優先しているのです。子供として自然な姿です。しかし学校側としては学校としてのまとまりが出来ないので、好ましくない子供と理解されます。これが不登校の子どもを生じる大本の原因で、実際に大人や教師が気づいた原因はこれから派生した物なのです。