教師と話していつも感じるのですが、学校は子供が大人になるのに絶対に必要な物だと信じ込んでいます。教師には子供が学校に行かないで成長をすることを考えられないようです。子供が学校に行かないのは、親から学校に行かないようにと虐待を受けていると考えているようです。それは、一生懸命子供のことを考えて、成績を伸ばしてあげようとしている先生には、当然のことかも知れません。子供の方でも本能的に学校に行きたがるのですから。
このような背景がある教師には、子供が学校に来ない、つまり不登校になるのは、子供が学校に来られ無い何かの理由が家庭内にあると考えてしまうようです。教師自身が子どもを学校に来られないようにしていると言う事実を、理解できないし、理解しようともしないのです。確かに教師が子どもを学校に来られなくしていると考えると、教師という職業が出来なくなる可能性が高いですから。
昔の日本では、教師は尊敬されていました。子供に何かあったら、子供が悪いで済まされていました。昔は中学校を卒業しさえすれば良かったのです。当時の家庭には子供が5,6名いました。親も子供に中学校を卒業させて、就職してくれれば良かったので、子供の教育にそれほど配慮をしていませんでした。子供が学校をずる休みしても、子供を叱る程度でそれ以上のことをしなかったようです。
今の親は高等教育を受けています。経済的にも豊かです。子供も1人か2人です。子供の教育に熱心です。その結果、子供は学校内で管理され、家に帰っても管理されて、子供としての自然態で生活が出来ません。多くの子供が今の学校制度に苦痛を感じています。その苦痛を家庭で癒やされることが無くなりました。学校からの苦痛は子供をとても苦しめます。家庭内での苦痛は母親という存在で軽減されます。それは子供が学校での苦痛が相乗効果を起こす原因になっています。この事実を教師は気づいていないのです。
教師は色々と工夫をして子供と向かい合っています。その向かい合っている子供に昔と異なって、多様性があるのです。教師の工夫に答えてどんどん成績を伸ばす子供にはスポットが当たりますが、教師の工夫に答えられない子供は、ある意味で見捨てられたような状態になります(昔はそれでも中学校を終えて就職すれば問題なかったのです)。但しこれが不登校の原因になるのではありません。