子供にとって

以下は子供の心の立場からの学校についての考え方です。

>それにしても、部活って本来は心身ともに成長する中学生が、自分の好きなこと楽しいことを仲間と一緒にやったり挑戦したりする場であると思うのですが、週に4日も5日も部活があったり、部活によっては土日も使ったり…やりすぎ感、詰め込み感が否めません。もちろん、がっつりやりたいお子さんにとってはやれる場が用意されている学校の在り方は望ましいのですが、部活をやりたくない子どもが高校受験の内申や大学受験の推薦で不利にならないかという不安感があったり、中学生で帰宅部の子はなんとなくやる気のない子だと思われたり、やりたい部活をがっつりではなくて少しだけやりたい子どもに適した参加の仕方は無くて、社会が向かっている多様性に比べて公立私立問わず学校とはなんと画一的な場なのかと改めて思い知らされます。
今の学校は、学校があってその学校に子供を合わせることを要求されますが、部活も同じようになっています。日本が未だ貧しかった頃の子供は自分を学校に合わせることで喜びを感じられましたが、今の子供はその様な子どもも多いかも知れませんが、学校よりも自分なりの成長を求める子供が増えてきています。それは今の日本が色々な意味で昔より豊かになったからです。親は子供の個性を尊重して子育てをする傾向が強くなってきているからです。それに対して、今の学校は学校の維持を最優先にして、子供をある枠にはめ込もうと、学校として安全な子供にしようとしているようです。

教育行政として、子供を受け入れて、子供に決められた範囲での教育を行い、問題なく子供を送り出すのが学校のようにです。つまり学校として何か問題を生じることを大変に恐れています。それ故に学校は子ども達に何か問題を生じさせないように、ある枠の中に閉じ込めようとするのです。何かあったとき、学校内での出来事は全て学校が責任をとらなくてはならないからです。それは授業でも部活でも、学校内でのことなら全て同じです。ですからこのMSGの意見は、授業についても同じ意見が成り立ちます。

>長期休暇以外は朝8時頃から夕方4時くらいまで通常授業があり、しかも公立中ですと内申だ高校入試には英語のスピーキングだ面接だと次から次へと子どもがやらねばならぬことが増えていて、私立中ですと多くのお子さんが電車通学の上、先取りや「先進的な教育」のお題目の元、プレゼンだ総合学習だ他校とのコラボだ海外研修だと消化しきれない程のメニューが詰め込まれ、その後にまた部活、夏休みも部活って、、、。お子さんによってはその後夜に塾に何日か行くお子さんも居る訳ですよね...。進学校中高一貫だったりすると、それはもう、かなり大変な日常生活が6年間も続いた上に有名大学の受験が控えている訳ですよね。できる人はいいと思います。多くの人はできるのだと思います。しかもやる気と喜びを持って。
平日であろうと、夏休みであろうと、学校のやり方があって、それに子供が従うことを要求されます。学校のやり方に柔軟性をつけると、学校のやり方が成立しなくなるので、学校は基本的に学校のやり方を要求します。学校によってはその学校のやり方に少しは柔軟性を持たせるところもないわけではないですが、それでも限界があります。その限界の外に居る子供はとても辛いことになります。

ここで考え方ですが、学校のやり方に適応できない子供は、その学校のやり方から逃げるしか方法がないです。逃げるのを躊躇する必要は無いのですが、例えば授業などでは、親の方でも逃げることを許さない場合があります。親も子供が学校から逃げてきたら、逃げてきた後の学校に相当する居場所を作る必要があるからです。そして親も子供の逃げ場を作らないで、学校が子どもをはじき出すことについてを非難することになります。ところがこの場合には学校も、親も、子供のあり方を無視してしまう、子供にとって学校からも、親からも辛くされることになります。

>でも、我が家のようにそれではキャパオーバーで完全にパンクしてしまう親子もいるはずで。うちの子たちがそんなことを何年も続けたら、過労死レベルだと思うんです。心が壊れてしまうことはもちろんですが肉体すら。多分、親である私も母親としての機能が完全に壊れてしまうと思います。自覚無しに。
これは極めて常識的な発想です。母親の知っている、描いている子供の姿に子供を合わせたい、その姿から子供が異なっていけないと、母親が考えていると理解されます。このMSGを見方を変えると、母親が子供を信頼していないという意味になります。学校からはじき出された子供(一時的にはじけ出された場合でも)も母親との信頼関係があると、その子供なりに成長をします。

確かに、母親も職業を持っている場合が多いし、母親なりの生き方をしていますから、母親の知らない子供の姿を見るのはとても不安です。辛いです。ですから、学校に自分の子供をはじき出さないでくれと要求するのはもっともだと思います。でもその様に母親が対応をしても、一番辛いのは子供自身です。母親ではありません。子供自身は学校からはじき出されて辛いばかりでなく、母親に理解してもらえなくて、孤立してより辛くなります。子供が問題行動を強めますし、場合によっては母親に向かっても問題行動をする場合もあります。すると子供の問題行動の原因を母親は学校に求めてしまいます。確かに大本は子供をはじき出した学校にあることは事実ですが。

>今の子どもたちは、ぼーっと何かを考えるとか、頭の中で想像や空想して自分自身のなりたい姿や憧れのようなものに思いを巡らせたり、逆にふと現実に戻って今の自分には無理だとか足りないことに気が付いて大意無く「なんとなーく」何かを始めてみるとか、大人になった後に「ああ、あれが人生の方向付けになったんだな」と思えるようなことになるような時間を持つことすらできないくらい、やること、やらねばならぬことが目の前に用意されていて、それをこなせない子ども、合わない子どもが増えてきても当然だろうと思います。
この子供の姿を母親は認められないという意味ではないかと思います。認められないから母親なりにどうにかしようと考え行動するのは当然です。子供は目の前の現実を受け入れて成長をするしか方法がありませんし、その様にして成長をします。母親が子供により好ましい現実に変えてあげられたらその方が良いですが、学校という現実を変えることは大変に難しいです。母親の学校の現実を変えようとする行動が、かえって子供を苦しめてしまう場合もあります。そのことを踏まえて、子供の姿を見ながら、学校への対応をする必要があります。

子供は学校からはじき出されても、そのはじき出された子供の姿を母親が肯定してくれるなら、子供はそのはじき出された姿から、その子どもなりの成長をします。母親の希望する子供の姿と異なっていても、子供としての成長が可能なことを母親が信じてあげられるかどうかが、とても大切なことになります。

>母親も同じですね。子どもたちに対してやらねばらぬことを自分で勝手に作って子どもと自分自身も縛り上げて苦しくなっている。子どもは支配しなくても共感してスキンシップしてありのままを認めてあげれば心身ともに健康に育ってくれるのに。
まさにその通りなのです。
確かに学校を利用して成長できたら、子供も親も楽です。楽という意味は学校を利用しないで子供が成長をする場合の親と子供の成長の仕方を比べての話です。

学校を利用して成長をする場合にも、学校の中で、学校間で、子供がとても辛くなる競争があります。その競争の辛さを母親は当然として受け入れられるのですが、学校を使わない成長の仕方を、多くの母親は受け入れられないのです。

学校を利用しないで成長をする成長の仕方があることは事実です。しかし多くの母親はそれを知りません。知らないから子供が学校から離れると、多くの母親は不安になります。何が何でも子どもを学校に戻そうとします。その母親の対応で子供が死ぬほど辛い思いをしてしまう場合があることを母親は気づかない場合が多いのです。

不登校になる子どもが増えてきたのではなくて、不登校にならざるを得ない子どもが増えるほど、学校や親が子どもに期待することややらせる事が増えたり高度化しすぎたように思います。大人が自分の意志で選択してそのような生活を送るとは訳が違って、まだ中学生。親や教師が言うままに目の前に毎日次々と課題が用意されていて「みんながやっているから。こなしているから」という理由で逃げられなくて、できないと「自分は周りよりできない子、頑張れない子」と子どもも親も思ってしまう...子どもを潰してきた原因はどこにあるのか。
これはとても鋭い指摘ですね。

現実の学校は、昔よりより多くの要求をし続けています。それで良い子供はそれで良いのですが、その要求に耐えきれなくて、学校からはじき出される子供がいるという現実があります。その現実を受け入れられないのが母親であり、子供はその現実を受け入れようとしますが、母親がそれを許さないので、子供がとても辛くなります。子供が学校からはじき出されたという現実を認めて、子供の心に沿って母親が対応をしてくれたら、子供の心は辛くならなくて、学校を使わない子供の成長が可能になるのですが、母親はなかなかそれを認められない現実があります。

>私は2人の子どもたちが小学生で不登校になるまで上記のようなことに気が付きませんでした。中学生の部活どころか、2人の子どもに小学校受験をさせ家では学校の言うままに宿題、課題に取り組ませ、ピアノ、体操、英語、バレエ、フルート、と周りの家庭と同じように次々と習い事をさせて、家も学校化、母親の私も教師化し、仕事で忙しく効率を追い他人任せの子育てで、2人の大事な大事な子どもたちを無意識に支配し続け、不登校にさせてしまいました。子どもが2人とも不登校になるまで気が付かない馬鹿な毒母でした。
御母様は馬鹿な毒母と表現していらっしゃいますが、御母様は二人のお子さんの大切な御母様です。その御母様をこのように表現なさるのは、きっと御母様がこのMSGの中で、ご自分を卑下していらっしゃるのではないかと思います。本当の御母様は二人のお子さんのために戦っていらっしゃったすてきな御母様だと思います。そしてその戦いの結果、二人のお子さんの本当の心に気づかれたという意味でしょう。