学校改革 ついて意見5

>楽しいを追求するようなもの、常識をくつがえすようなもの
不登校の子どもを育てている母親として、おおざっぱに分けて
1)何とかして子供を学校に行かせたい
2)今の学校に問題があるから、問題がない学校を作って、または見つけてそこに子供を行かせたい
3)子供に学校を利用しない成長の仕方をさせたい
と分けられると思います。

多くの母親は1)だと思います。その結果子供を大変に苦しませて、または子供が苦しんでいることに気づかなくて、母親の思いを子供に押しつけています。その経過の中で、一部の母親は学校の問題点に気づいて(其れはその母親の子供についての学校の問題点であり、多くの学校に通う子供には問題点でないか、たいした問題点ではない。問題点であってもその子供なりにその問題点を避けて学校に通っている)、2)の学校を変えようとしたり、学校を使わないでフリースクールや居場所を利用しようとする様になる場合もあります。子供が其れも拒否をして母親も子供の拒否に押し切られたとき、3)を選択せざるを得なくなります。最初から母親の判断で3)を選ぶ母親は殆どいないと推測しています。

不登校の子供の心の立場(子供が言葉にして言う場合は殆どないと思います)から母親の対応の仕方を考えると、1)は不登校の子どもの心にあるFCRが反応をして子供はとても辛い状態でいます。母親が子供の不登校に気づいている段階ですから、子供がFCSから逃げられていないという意味になります。逃げられなくてよい子を演じている段階でもなくなっています。

子供はFCRからとても辛くなっていますから、その辛さから子供を守りたいと思う母親は次の2)を選択しようとします。ところが不登校の子どもは学校ばかりでなく、学校を連想する物にも反応をして辛くなりますから、子供が学校に代わって行かされる場所にとても大きな喜びがない限り、子供はそこに行き続けることが出来ません。学校に行かそうとするのと同じ反応をします。それでも学校に代わって行かされる場所では、学校と違った配慮、その子供が楽しめる物がある場合が多いので、子供はよい子を演じて通い続ける場合が多いように見えます。よい子を演じ続けた結果は大人になって現れます。其れまで母親は気づかないで時間の経過をしてしまいます。

不登校の子どもの多くは3)を求めています。但し其れを言葉に出来る子どもは多くないと思います。きっと言葉にして言っていても母親の方で聞き流しているのではないかと思います。子供が荒れる問題行動をするという姿から、仕方なく3)を選択せざるを得なくなっていると推測されます。それでも子供が学校に行かないでいる姿を多くの母親は許せません。3)を選んでも、子供の母親への荒れや問題行動が続くことになります。それで子供が大人になったときの、子供のニートフリーターという姿に続くことになります。

>うちは学校にいくというはなしすらしませんが。
それは3)を母親の判断で選択なさったという意味ですね。3)を選択することで、母親が子どもを見ない、言わない、母親の笑顔、を貫いて下さると、子供の本能が機能をしだして、子供の方でその子どもなりの不登校問題の解決をしてくれます。その解決の仕方は子供によって色々ですが、最終的に母親の希望をどこかで叶えてくれています。

>大人の事情のための学校になっていて魅力がないですね。
其れは不登校の子どもの母親の場合です。現在の学校は大人の事情から運営されています。大人の考える理想の学校ですら、子供の心の立場から言うなら、大人の事情からの学校になってしまいます。

子供の心の立場(子供の本能)から言うなら、学校は必要ですし、その学校に辛い物がなければどのような形の学校でも構わないのです。それでも子供の集団の学校では、そこに参加する子供に程度の差はあっても、かならず子供が辛く感じる物が出来てきます。その辛さを解決するのはその子どもの母親の役目です。あくまでも基本的にですが、先生には出来ないのです。先生で出来たつもりでも子供の心から言うなら解決になっていないのです。