IQと心のエネルギー

申し訳ないのですが、不登校の対応の際に、IQを配慮した経験が無いので、ご希望の答えを差し上げることが出来ません。不登校になることとIQとは直接関係ないようですから、IQと言う観点で子供の心の状態、対応法を考えたことがありません。

以下は私の勝手な推論です。根拠は私の経験しかありません。

あくまでも推論ですが、IQにしても、発達障害の問題にしても、客観的な人間の神経生理に基づいた検査法では無いので、所謂専門家が作った検査で、大人が、所謂専門家がその結果に意味を持たせていると考えています。子供の立場から言うなら、して欲しくないことをさせられて、又その結果から、子供としてして欲しくない対応をされて、子供にとって迷惑ではないかと思うのです。

IQが低くても、その子どもなりに成長をして、IQでははかれない子供なりの良さを発展させて、その子どもなりの経験を積み重ねて、大人になり、社会人になれば良いのではないかと思うのです。ある意味でIQとは過去の遺物のように感じています。その理由は最後に書きます。

子供の性格として短い時間の判断が苦手、記憶が苦手という子供がいても良いと思うのです。子供の心が元気なら、ある年齢までにそれなりの対応を受けて、大人の希望するある方面の知識をつけておくのも一つの成長の仕方ですが、其れをしないでその子どもなりの方面の知識をつけて大人になるのもありではないかと思います。

私が脳科学的に考えるなら、脳には、心には、意識=知識の心と、習慣の心と、情動の心があります。IQが知識の種類や量を調べる検査なら、子供が其れを求めるような対応の仕方で其れを増やすことが出来ます。IQが習慣の心の発展ぐわいを調べているなら、子供が其れを求める形で、子供が経験していない経験をさせてあげることも可能です。ところが情動の心に関するものを調べるなら、その情動が好ましくなくても、好ましくないという理由で変えることは出来ません。

IQが知識の心に関する物や習慣に関する物でしたら、子供が其れを求めようとするやり方で増やしたり、変えたり出来ます。大人が求めるIQを高める子とが出来ます。子供が求めようとしない形、大人が求めるIQを子供に押しつけるときには、子供拒否反応を起こして、大人が求める物を身につけようとしないばかりか、その様な大人や、大人からの対応が子供の心(情動)を苦しめて、回避行動をとらせる可能性が高いです。

きっとIQと言う尺度は、大人の希望する姿に子供がどれだけ近づいているかを計っているのでは無いかと推測しています。普段から大人が希望する知的な活動、習慣的な活動をしているとIQは高く出ると思います。その事実がその人にとって好ましいか、好ましくないか、其れはその人が判断することであり、子供の頃から大人の要求に無頓着で、その子供なりに成長をしてきた人には迷惑なことではないかと思うのです。

私は、大人の価値とはその人のIQではなくて、その人がどれだけ心のエネルギーを持っているかと言う見方が大切だと思うのです。心のエネルギーが大きいなら自分のIQを高めるような活動、行動が出来るからです。