動いて欲しい

以前親子関係が悪かった21歳の引きこもりの娘です。現在親子関係が良いのは、この学会で言われている対応のおかげです。けれど娘に今以上の動きを求めることは、現実的には無理そうです。娘に動いてほしいと期待し続けると私自身の辛さは続きます。
子供が自分発の意思で社会に出ていくことを信じて待つということが、期待をもっているということでしたら、今の子供のありのままの姿を受け入れる、ということと両立させるのが難しい気がします。ありのままを受け入れる=生きているだけで良しとする、娘が外に出ることあきらめて見ないでいること、この学会で言われているように、娘を友達のように接することぐらいですね。

<解説>

>親子関係が良いのは、この学会で言われている対応のおかげです。
母親が、ありのままの子どもをそれで良いと認める対応ですね。具体的には、
傾聴
要求を100%だけ、即座に笑顔で叶える
共感とスキンシップ
これらの対応で、子どもの姿が落ち着いてきたら、基本的に子どもを見ない、子どもに言わない、母親の笑顔
ですね。

>けれど娘に今以上の動きを求めることは、現実的には無理そうです。
今以上に動いて欲しいと言う思いは、今の娘のあり方を認めないという意味ですね。母親がこのように感じるのは仕方が無いのかも知れません。母親が無理をして良い母親を演じても、それも子どもに見透かされますから、見透かされないように、母親が子どもから離れてしまうのが良い対応法だと思います。母親が母親の楽しみのために、パートなどの仕事のために、家を空けてしまうのが良いようです。

>娘に動いてほしいと期待し続けると私自身の辛さは続きます。
その辛さを葛藤と言います。現実の娘の姿はそう簡単に変わらないのに、動く方向に変わることを母親が願うことから生じます。母親の性格として期待してしまう場合は、それも仕方が無いことです。しかしその結果娘を辛くして、せっかく貯まって来た心のエネルギーを減らしてしまうのはもったいないです。そのためにも、母親が娘に動いて欲しいと期待していることを感じさせないために、母親が娘が希望するとき以外、娘の傍に居ない方が良いようです。

>子供が自分発の意思で社会に出ていくことを信じて待つ
これは子どもが自立したいと言う本能を満たすために社会に出て行くのであり、その本能を母親が信じるという意味です。信じて子どもに働きかけないなら、その母親の姿が子ども待つ姿です。決して社会の中の子どもの姿に意味を期待しているのではありません。

>期待をもっているということでしたら
期待という場合には、社会の中での子どもの姿を母親の希望する姿に向かわせたいという母親の欲求があります。それは子どもによっては、とても辛い母親の姿、あり方です。信じて待つには、期待があってはいけないのです。

>今の子供のありのままの姿を受け入れる、ということと両立させるのが難しい気がします。
その通りです。ですから母親に子どもへの期待があってはいけないのです。

>ありのままを受け入れる=生きているだけで良しとする、娘が外に出ることあきらめて見ないでいること
多くの母親に難しいことだと思いますが、端的に言うとその通りです。

>この学会で言われているように、娘を友達のように接することぐらいですね。
娘を危険から守る母親の機能以外、母と娘との関係を止めて、姉妹の様に対応をすると、娘の心はとても楽になり、心のエネルギーを貯めやすくなります。