友達からのいじめ

不登校の11歳の娘です。学校に通っている11の友達がいます。ある日、娘はその友達のうちに遊びに行きました。遊びに行った娘から母親に「助けて!」というラインが入ったので、母親が急いで助けに行くと、娘はその友達の部屋にハサミを向けられて監禁されていました。本当に怖かったと思います。
以前も娘が帰ろうとする時の友達の暴れ方、そして今回の何かキッカケがあったにしろ意地悪や娘が帰ろうとすると暴れる事を見ると、友達は「娘を使って辛さを軽減させる遊び」をしていたのかな?と感じました。
逆に外に1人で出されてしまっている娘をドアの窓から見て嬉しそうにしていたのを見て「この子にとって、娘を虐める事で自分の辛さを軽減させようとしてるのかな?」と感じましたがどうなのでしょう?なお、友達のお母様は自動精神科でも勤務していたそうです。
友達が暴れてる際に見守りの方が仕事中のお母さんに電話し、帰宅して欲しいとお願いした時に、とにかく私と娘を外に出す様に指示していました。児童精神科での対応として何か意味がある指示だったのでしょうか?

<解説>

>以前も娘が帰ろうとする時の友達の暴れ方、そして今回の何かキッカケがあったにしろ意地悪や娘が帰ろうとすると暴れる事を見ると、友達は「娘を使って辛さを軽減させる遊び」をしていたのかな?と感じました。
お母さまの感性は正解です。本当に可愛そうなのはその友達の女の子です。
良くそのことに気づいてくださいましたね。一種のいじめの姿です。しかし友達の母親はそれに気づいていないのです。気づいているとしたら、その母親なりの主義主張があると言う意味で、それに基づいてその母親の娘を守ろうとする対応がなされ、その娘の心に沿っている対応が成されていません。

>逆に外に1人で出されてしまっている娘をドアの窓から見て嬉しそうにしていたのを見て「この子にとって、娘を虐める事で自分の辛さを軽減させようとしてるのかな?」と感じましたがどうなのでしょう?
お母さまの感性は正解です。これがいじめる子どもの心理です。いじめている当人は楽しんでいるだけなのです。その楽しみの犠牲になっているのが娘と、今回は母親も巻き込まれています。しかし本当に可愛そうなのはその友達です。何かで心が辛い(子どもの場合の殆ど全ては辛い学校に行かされている)友達の心を癒やす行動、ある意味で楽しさを求める遊びなのです。

>なお、友達のお母様は児童精神科でも勤務していたそうです。
きっとですが、児童精神科学の考え方が身に染みついている母親なのだと思います。残念ながら現在の児童心理学は、大人の考え方そのものです。心が辛い子供の心に沿っていません。きっとですが、その母親は子供が学校に行っていますから、安心しきっているのでしょう。子どもが多分学校で辛い思いをしている、学校に反応をするトラウマを持っていても、そのトラウマの反応を無視しているのだと思います。そのトラウマの反応はその内に自然になくなるだろうと信じていて、辛い子供の心を癒やそうとしないので、子どもが母親の居ないところで問題行動を繰り返しているのだと思います。
友達が娘にはさみを突きつけていたことをその娘の母親が知ると、その母親はどんな反応をするのか、見て見たいと思います。これを契機にその母親がその友達の心の辛さに気づくか、逆にその友達を責めるか、それともその友達の問題行動を無視をするのか、その母親の心がその友達の辛い心を守って貰うのに、とても大切なことです。

>友達が暴れてる際に見守りの方が仕事中のお母さんに電話し、帰宅して欲しいとお願いした時に、とにかく私と娘を外に出す様に指示していました。児童精神科での対応として何か意味がある指示だったのでしょうか?
友達の心を無視した、母親の自己保身の言葉だったと思います。どのような児童精神か的な対応をしようとしたのか、この後なされたのか、記載がないので分かりません。ただ、現在の児童心理学は大人の心からの子供の心の分析であり、主として心が元気な子供の心なら当てはまる場合もありますが、この友達の女の子のような、心が辛い子供には当てはまりません。その意味で、この女の子の母親は、友達の女の子への対応に困っていたのではないかと思います。手の打ちようがなくて、放置していたのではないかと思います。