2月18日の検討会の内容をお伝えします。勿論一部ですし、若干のMSGの追加をしています。
不登校とは、子供が学校に行こうとしない、行かせようとすると程度の差はありますが、今までに無い反応や行動の仕方をする(殆ど全ての場合で学校に行き渋る、学校に行こうとしない)場合です。その反応の仕方を母親が気づいたり、周囲の人だけが気づいたりします。
多くの場合、親や周囲の大人の知識から、子どものこの反応の仕方や行動を理解しますが、多くの場合それでは解決しません。また、解決したとしても後ほどまた子どもが今までに無い反応や行動の仕方をします。そして子どもの心に何か正さなくてはならない問題があると考えて、子どもに関わったり、子供を責めたりします。この時の親や大人の問題点は、子どもの心は大人の心と異なることを知らないという事実です。大人の心、知識で解決法を考えて、それを子どもに当てはめることです。ですから、大人の心で考えた解決法は不登校の子供の心に当てはまらないのです。
現在の日本の不登校とは、子どもの心に 「学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=FCR」 ができて、そのトラウマが学校に反応をして子どもの心を辛くして、子どもが今までに無い反応や行動の仕方をします。この「学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=FCR」を考えた対応法を、不登校の子供にしない限り、解決法がないのです。このトラウマが学校に反応をして子どもの心を辛くして、子どもが今までに無い反応の仕方や行動の仕方をするその姿は、子どもによって色々です。そしてトラウマの大きさ=不登校の程度を、不登校の子供が今までに無い反応の仕方は行動の仕方で判断できません。と言うより判断すると間違えてしまう場合があります。
母親が子どもは不登校だと気づいた時点で、子どもは既にトラウマの反応から死ぬ思いをしていると考えた方が良いです。その死ぬほど辛い思いを、子どもがその子どもなりの何か楽しみを見つけて、その楽しみで薄めていると、考えた方が良さそうです。但し、死ぬほどの辛さを楽しみで薄めているのですが、トラウマの場合、その辛さは経過と共に強くなる傾向があるために、その楽しみで薄められなくなることが多いようです。最終的に母親が子どもの辛さから子どもを守る必要がある様です。