言葉の暴力

不登校で母親に辛いことをする娘を育てている母親からのMSGです。
母親が娘との会話で傾聴を難しく感じる理由の一つに、娘は辛さを出している時に「私の目が細いよね?」「家族誰も細くないのに、何で私だけ細いのかな?」「どうしたら良い?」「お母さんはどう思う?」等質問系で話をしてくる事がとても多いので、いつも何て答えたらよいのかわからず、結局余計なことを言ってしまっているような気がします。

<解説>

母親を困らせ続けるような言葉を、子供が母親にぶつけることは、子供が母親に言葉の暴力を振るっていると考えるべきでしょう。身体的な暴力でなく、言葉の暴力です。子供に身体的な暴力を振るう能力がある場合には、身体的な暴力になるようです。身体的な暴力を振るえない子供(大人でもその様な傾向があります)のなかには、このように言葉の暴力を振るう子供が居ます。また、このような言葉の暴力を振るう子供は、暴力になるような言葉を選べるのですから、それだけ知的に優れている、所謂頭が良い子供です。頭が良い子供ですから、子供の辛さから子供を守るだけで、子供は自分で自分の問題を解決する能力を持っていると考えられます。又経験的にその通りです。

そして、身体的な暴力、言葉の暴力を振るえない子供(大人もそうですが)は、所謂心の病の症状を出します。子供では、この逆も成立するようです。つまり、心の病の症状を出している子供は、子供の心がとても辛くて、その辛さを身体的な暴力でも、言葉の暴力でも表現できていないと考えられます。


>母親が娘との会話で傾聴を難しく感じる理由の一つに、娘は辛さを出している時
子供の心が辛いと言うことは、子供は子供を辛くす物から逃げられないし、よい子を演じてその辛い物をやり過ごせないという意味です。子供の心が辛いとき、その心の辛さを何かで発散して解消をする必要があります。親が子供の身体的な暴力や言葉の暴力を嫌がるなら、子供がゲームやネットに没頭することで心の辛さを発散させれば良いのですが、多くの親は子供がゲームやネットに没頭することも嫌がるのです。

>「私の目が細いよね?」「家族誰も細くないのに、何で私だけ細いのかな?」
>「どうしたら良い?」「お母さんはどう思う?」等質問系で話をしてくる事がとても多いので、いつも何て答えたらよいのかわからず
母親にとって、娘から言葉の暴力を受けているという意味です。心の辛さを解消出来ていないから、「お母さん助けて」という意味なのです。助けてと言う意味は、娘を辛くする物から母親が守って欲しいと言う意味であり、娘からの質問に答えてと言う意味ではないことを理解する必要があります。つまり娘からの質問に母親がうまく答えられたとしても、娘はその母親からの答えについて、続けて母親が困るような質問をする、言葉の暴力を振るうからです。

ですから、母親は子供の言葉に応えてもよいのですが、答えられないなら答えなくて、娘の辛い心を理解したよと言う、共感の言葉とスキンシップだけもで良いです。それでも娘は自分の心が楽になるまで、言葉の暴力を続けます。その言葉の暴力を母親は否定するのではなくて、言葉の暴力も受け続ける必要がある場合が多いです。つまり娘がいる辛い地獄のような心の状態と同じような辛い地獄のような心の状態を、母親も一緒に経験する必要があります。それも娘が納得するまで経験し続ける必要があります。

それではいつまでたっても娘も母親もその地獄から抜け出せないのではないかという疑問が生じます。母親ならそれが抜け出せるのです。母と子供との関係なら、母親の共感とスキンシップは強力な情動の接近系(情動の会計の子供の辛い心を癒やしてくれる、相殺してくれる)からです。ですから基本的に他人ではできないのです。他人でもできる場合には、その他人を子供が自分の母親のように感じる(代理母)でなければなりません。医者でもカウンセラーでも、所謂心の専門家でも意味がありません。

>結局余計なことを言ってしまっているような気がします。
この余計なことを言うという意味は、母親が娘のいる地獄に落ちていかない、母親が娘がいる地獄の落ちていっても、娘をおいて母親だけが地獄から抜け出そうとしていると、母親の言葉から娘が感じてしまうような母親の言葉という意味だと思います。