自傷行為

1時間から娘が母親の部屋に来て話をし続けていました。月曜日に発作的に死にたくなったことと自傷行為が増えていると打ち明けられました。死のうと思ったけど死ぬのは怖かった、でも生きて息をするのも苦しいと言っていました。ただ話を聞いてやることしかできませんでした。ただ生きていてほしいと伝えたのは去年と同じです。
母親が180°変わるということ、どうしたら良いのでしょう。こういう話をされた時、心の中が掻き乱されているのを抑えて冷静に振る舞うのが精一杯です。

<解説>

>1時間から娘が母親の部屋に来て話をし続けていました。
母親に娘の思いを聞いて欲しかったのです。話を聞いて貰って、辛さを忘れて、安心感が欲しかったのだと思います。

>月曜日に発作的に死にたくなったことと自傷行為が増えていると打ち明けられました。
子どもが死にたくなったという言葉を発するとき、自傷行為をするときとは、子どもが自己否定を起こしているときです。
否定とは、殴られたり、暴言を受けたりしたとき以上に、心を辛くする物です。否定されてもその後で直ぐに誰かに肯定されたら、否定の高価は和らぎます。
自己否定だけは誰も自己否定に気づいてくれません。辛さの相乗効果を起こして、とても辛くなり、生きていられないという思いを生じるようになります。

>死のうと思ったけど死ぬのは怖かった
自己否定が生じる辛さが、最高に辛かったと言う意味でしょう。

>でも生きて息をするのも苦しいと言っていました。
子どもは基本的に自殺を出来ません。子どもが自殺をする場合とは、自殺をする真似をして、その真似が事故になり、命を失った場合です。

>話を聞いてやることしかできませんでした。
共感して、スキンシップをして、話を聞き続けて上げるので良かったです。

>生きていてほしいと伝えたのは去年と同じです。
これは子どもの心には意味を成さない言葉です。子供の心は基本的に生きたい野です。成長をしたいのです。そのために死にたいと思うような辛さを母親に癒やされたいのです。

>母親が180°変わるということ、どうしたら良いのでしょう。
心が元気な子どもでは、母親は子どもを常識的に育てることが出来ます。心が辛い子供には、子どもを育てるのではなくて、あるがままの子どもの姿をそれで良いと認めて上げることです。辛い子供の心に共感し、子どもへのスキンシップをすれば良いです。それ以上を子どもから求められない限りしないのです。

>こういう話をされ時、心の中が掻き乱されているのを抑えて冷静に振る舞う
このような話を聞いたとき、子どもが自殺をすると考えるのではなくて、子供の心が死にたいぐらいに辛くて、その辛さを母親により癒やされていないという意味のはずです。そうは言っても、子どものこのような言葉で母親の心が乱されてしまうのは仕方が無いです。冷静になれというのは、母親なら、子どもの言葉の意味を子供の心に沿って理解する必要がありますが、それをしても難しさがあります。だから母親が動揺するのは仕方が無いけれど、母親ならこのような状態でも母性は機能をします。母性が機能をすれば、共感とスキンシップが出来るはずです。このようなときに母親として具体的に何科をするというのではなくて、子供がもう良いと言うまで共感とスキンシップをし続けるので良いのではないかと思うのですが。そうすることで、子供のの心の方が変わって来るからです。