ある子育ての意見

ものだということを親は認識し、許容して先導せず見守る、ということでしょうか。つまり、親は何もすることはありませんね、ただ温かい目で見守るだけですね。

>思春期付近の子供を子供扱いせず
親が子供を所謂子供扱いするという意味は、
子供を危険から守る
子供を親の希望する姿にする
それは親としてしなくてはならないことです。それを動物は繰り返して進化をしてきていて、その頂点に人間がいます。ただし、文化的に発展した人間には他の動物で行われたような自然淘汰の機会が殆ど無くなってきています。親が持っている文化、特に母親が持っている文化が、その母親の子供の姿を決めている割合が大きいようです。

子供は母親から生まれ、子供が持つ本能から母親が持っている文化を受け入れながら、体を成長させて、子供社会と関わり、大人社会と関わり、経験とそれにも続く知識を増やして(知的成長と表現しておきます)いきます。そして思春期になると、体は大人となります。体から言うなら親と同じ姿になります。但し、人間だけは未だ知的成長の過程なのです。知的成長の場である脳が未だ親と同じ姿になっていないからです。

>自立できる大人になるよう手を離していく、
心が元気なら、この言葉からの対応で大丈夫です。その母親なりの子育てで大丈夫です。

不登校を経験したような、心が辛い子供では、母親が子供の能力不足分を母親の判断で補うと、子供がその能力の不足分を自分で補う機会を奪うことになります。理解が難しいかも知れませんが、別の表現をすると、子供が失敗してでもその能力の不足分を自分で補うことを許さない、結果的に子供発の成長をしようとする心を否定することになります。

>過干渉にならないよう自分発の意志を出せるよう見守る。
心が元気な子供なら、この対応で良いです。

不登校を経験したような心が辛い子供では、母親の判断で子供に関わる=過干渉でなくても、干渉をするなら、上記の様に子供の心を否定することになります。

>その一方で、心は大人と同じではないために行動が伴っていないこと、失敗するものだということを親は認識し、許容して先導せず見守る、ということでしょうか。
失敗をさせて上げる必要があります。子供が失敗を避けたいなら、母親との間に信頼関係があるなら、母親に必ずヘルプを求めてきます。母親は子供から離れて、子供からヘルプを出してくるのを待っていれば良いです。その待っていることを見守るというなら、その通りですが、言葉通りに母親が子供の動きを見つめているなら、子供は母親から信頼されていないのではないかと感じてしまう可能性が高いと思います。

>つまり、親は何もすることはありませんね
母と子供との間に信頼関係があるなら、母親は子供から離れて待っていれば良いです。待っている間に母親として楽しいことをして、笑顔でいれば良いだけです。

>ただ温かい目で見守るだけですね。
多くの人はこのように母親の優しさを表現します。それはよく分かっているのですが、あくまでも言葉通りの温かい目、見守る、は、母と子供との間に信頼関係があるなら、子供の自立にどちらも必要ないのです。母親は母親として楽しいことをしていれば良いだけです。