昨年夏から

子どもは、昨年の夏休み前後だったと思いますが、体調不良を理由に早退したり、意地悪される、悪口言われる、陰口言われるなどと言い出し、学校を休みがちになりました。原因を先生に説明し、解決していけるようになったと思うとまた行き渋り、母親が学校まで送っていくのですがお腹が痛いなどの体調不良が出て行けなくなってしまいました。
初期は、母親が、「そのくらいで行けないでどうするの?頑張って行こう?」と言ったり、「なにが嫌なの?どうして行けないの?」と原因を聞いたり、「もう少し頑張って行ってみようか?」と声がけをしていました。しかし子供の辛そうな姿を見続けるのは、親にとっても辛いので、最近は子供を学校に行かそうとして居ません。それでも子供は、子どもなりに学校に行かなくては、と思っているらしく「明日は行く」と言っては、結局当日行けない。ということがあります。
今思えば、夫婦共稼ぎなので、子供が母親と一緒に寝たいのに寝れないなど、たまにそれを理由に子どもに泣かれたりと、今も前もかなり寂しい思いをさせてきたと思います。情報によると、不登校は親の関わり方にも問題があるとの情報も目にして、子どもに共稼ぎのしわ寄せがすべていっていたのかと、子どもに対する罪悪感を強く抱くとともにどうしていいかわからず悩んでいます。

<解説>

>子どもは、昨年の夏休み前後だったと思いますが、体調不良を理由に早退したり、
この時点で既に学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=FCRがかなり強く反応をしだしています。そのトラウマの反応症状が体調不良です。トラウマの反応を避けるという意味で、早退が悪くないですが、それだけでトラウマは消失しません。

>意地悪される、悪口言われる、陰口言われるなどと言い出し、学校を休みがちに>なりました。
母親を含めて多くの大人に理解が難しいかも知れませんが、意地悪をされる、悪口を言われる、陰口を言われることは、きっと子供の心が元気な内はその子供なりに回避していたと思います。それがトラウマが反応をしだしたことにより、心のエネルギーがマイナスになり、これらのことを子供は自分から解消出来なくなっています。

>原因を先生に説明し、解決していけるようになったと思う
大本のトラウマが解決していないのですから、見かけ上解決したと思えても、解決していません。子供は解決したかと思って学校に行ってみても、解決出来ていないので、学校で心が辛くなります。

>行き渋り、母親が学校まで送っていくのですがお腹が痛いなどの体調不良が出て行けなくなってしまいました。
トラウマが反応をしているのですから、そのトラウマの反応の辛さから子供は学校に行かれなくなっています。具体的な学校内での嫌なことも関係していないとは言いませんが、子供が学校に行かれなくなっているのは、学校そのものが子供にとってとても辛い物になっているからです。

 

夢にいじめの子供が

>何も言わないようにして、0時過ぎまで起きている何日か続いていましたが朝は起き、昨夜は「まだ10時だけどゲームやめたー」とわざわざ報告に来て、その後家族で寝に行きました。翌朝「昨日はまぁ遅いけど早く寝た」と言いました。
良い対応だったと思います。

>(まぁ遅いけどって言わせてしまうところが心苦しいです)
有り難うございます。御母様に感謝です。

>「夢で学校の子出てきてトラウマやったわ」と言ってきたので「そうなんや」と言いました。そのあとは何も言ってこず、普段どおりに見えます。
常識に反しますが、お母さまが反応をしなかったのが良かったです。
きっとその子はお子さんをいじめた子供なのでしょう。多くの場合、そのいじめの内容(実際と異なっている可能性が高いですが)を話しますが、話さなかったと言うことは、お母さまの対応で夢の内容を話す必要がなくなったという意味ではないかと思います。

父親への対応

父親の言葉で娘は落ち込んでしまいました。母親は「本当にそう。父親は心の辛い人の気持ちが全く理解できないんだよ。父親て存在は結構みんなそうみたい。」その後も色々話をし、一時間程で娘は一旦落ち着きました。

日頃の父親に対する娘の言動、今日の言動を聞いて、娘は父親が私と同じような対応をしてくれるか(どんな自分でも受け入れてくれるかを)ひたすらテストしているように感じます。

言葉でいくら伝えてもあまり意味はないのかもしれませんが、今日はひたすら娘に母親の私は「娘の**ちゃんは、お父さんにもお母さんと同じようにわかってもらいたいと思ってると思うんだけど、外で働いてる男の人にはわからない。おじいちゃんも今なら分かるけどお父さんと同じ年代の頃はわからなかった。娘を大切に思う気持ちは同じでも、お父さんはカウンセラーの考えを受け入れていないし、その方法を知らない。だから娘の話はお母さんが聞くけれど、もしお母さんで足りない時はカウンセラーの先生に話をしてほしい。」とお願いしました。

注釈:企業戦士の父親は常識の塊のことが多いです。会社の仕事は常識の塊だからです。それ故に不登校の子供の心のような、常識とはかけ離れた心を理解できません。けれど、母親に心の余裕があるなら、父親にカウンセラーからの話を聞くように説得して下さい。不登校の子供の心についての母親からの説明を父親は信じません。しかしカウンセラーからの話なら、不登校の子供の心への非常識な対応を理解できなくても、子供を可愛いと思う心は母親と同じです。対応を母親に任せてくれる可能性が高いです。

登校刺激

友達と関わらなければ刺激も受けなくていいと思い、今までも止めてきましたが勝手に約束して遊んでしまい止めることが難しかったので今はもう後追いにしていました。
荒れている様子もないので、「もう大丈夫なんだろう」と思っていました。
刺激には変わりないですね。

<解説>

>友達と関わらなければ刺激も受けなくていいと思い、今までも止めてきましたが勝手に約束して遊んでしまい止めることが難しかったので今はもう後追いにしていました。
友達と言うからには、学校の友達、同級生などを推測します。その様な場合には、友達という思いと一緒に学校を連想しますから、とても強い登校刺激になります。多くの場合、不登校の子供はその様な友達を遊べません。
不登校の子供でも、その子供の姪や甥と遊ぶことができます。それは姪や甥と遊ぶことにとても強い楽しさを感じて、その楽しさが登校刺激の辛さを打ち消してしまうからです。

>荒れている様子もないので、「もう大丈夫なんだろう」と思っていました。
常識的にはその様に判断できます。しかし、お子さんがよい子を演じている可能性を検討してみる必要があります。まずよい子を演じている可能性が高いと、私は思います。

>刺激には変わりないですね。
学校の友達は登校刺激です。お母さまのMSGから、友達からの登校刺激を感じませんが、トラウマという物はそう生やさしい物ではありません。必ず登校刺激になって居て、子供の本心は苦しいはずなのですが、その辛さを表現しないのです。本当に性格が良い、御母様思いのお子さんなのです。そして何ヶ月か、何年か先高分かりませんが、心の辛さがよい子を演じきれない段階になったとき、お母さまも大変に苦しむことになります。

ある子育ての意見

ものだということを親は認識し、許容して先導せず見守る、ということでしょうか。つまり、親は何もすることはありませんね、ただ温かい目で見守るだけですね。

>思春期付近の子供を子供扱いせず
親が子供を所謂子供扱いするという意味は、
子供を危険から守る
子供を親の希望する姿にする
それは親としてしなくてはならないことです。それを動物は繰り返して進化をしてきていて、その頂点に人間がいます。ただし、文化的に発展した人間には他の動物で行われたような自然淘汰の機会が殆ど無くなってきています。親が持っている文化、特に母親が持っている文化が、その母親の子供の姿を決めている割合が大きいようです。

子供は母親から生まれ、子供が持つ本能から母親が持っている文化を受け入れながら、体を成長させて、子供社会と関わり、大人社会と関わり、経験とそれにも続く知識を増やして(知的成長と表現しておきます)いきます。そして思春期になると、体は大人となります。体から言うなら親と同じ姿になります。但し、人間だけは未だ知的成長の過程なのです。知的成長の場である脳が未だ親と同じ姿になっていないからです。

>自立できる大人になるよう手を離していく、
心が元気なら、この言葉からの対応で大丈夫です。その母親なりの子育てで大丈夫です。

不登校を経験したような、心が辛い子供では、母親が子供の能力不足分を母親の判断で補うと、子供がその能力の不足分を自分で補う機会を奪うことになります。理解が難しいかも知れませんが、別の表現をすると、子供が失敗してでもその能力の不足分を自分で補うことを許さない、結果的に子供発の成長をしようとする心を否定することになります。

>過干渉にならないよう自分発の意志を出せるよう見守る。
心が元気な子供なら、この対応で良いです。

不登校を経験したような心が辛い子供では、母親の判断で子供に関わる=過干渉でなくても、干渉をするなら、上記の様に子供の心を否定することになります。

>その一方で、心は大人と同じではないために行動が伴っていないこと、失敗するものだということを親は認識し、許容して先導せず見守る、ということでしょうか。
失敗をさせて上げる必要があります。子供が失敗を避けたいなら、母親との間に信頼関係があるなら、母親に必ずヘルプを求めてきます。母親は子供から離れて、子供からヘルプを出してくるのを待っていれば良いです。その待っていることを見守るというなら、その通りですが、言葉通りに母親が子供の動きを見つめているなら、子供は母親から信頼されていないのではないかと感じてしまう可能性が高いと思います。

>つまり、親は何もすることはありませんね
母と子供との間に信頼関係があるなら、母親は子供から離れて待っていれば良いです。待っている間に母親として楽しいことをして、笑顔でいれば良いだけです。

>ただ温かい目で見守るだけですね。
多くの人はこのように母親の優しさを表現します。それはよく分かっているのですが、あくまでも言葉通りの温かい目、見守る、は、母と子供との間に信頼関係があるなら、子供の自立にどちらも必要ないのです。母親は母親として楽しいことをしていれば良いだけです。

訂正:大人の心と子どもの心

子どもの心と大人の心と異なるところを纏めにして、4点を箇条書きにしてみます。

1)子供は子供が持っている知識を言葉にできるが、その言葉からの行動はできません。その言葉の内容から行動ができるときとは、報償か罰が関係しています。
*「不登校の子供の言葉は、子供の知識であり、子どもの意思ではありません」* 。

2)子供は子供が感じたことについて、子供の性格(それまで身につけた習慣と感性)から反応をして行動をします。大人もその性格から行動をしますが、その大人にとって大切な行動をしなくてはならないときには、性格からでなく、知識を利用してその人なりの思考を機能をさせて、その結果から行動をします。

3)子供はその情感や習慣、知識に、大人顔負けの物を持っている場合があります。つまり子供がそれなりのトレーニングを受けると、大人の能力、又はそれ以上の能力を発揮することができます。但し、それなりのトレーニングを受けるには、母親又は代理母が存在して、子供の心のを支える(母と子との間の信頼関係)必要があります。
 *「不登校の子供の能力を伸ばそうとするなら、まず母と子との間の信頼関係が最優先」* されます。

4)子供がそれなりの思考のためのトレーニングを受けると、その時子供が持っている経験からの知識や、大人から教えられた知識から、その子供なりに考えることができます。その思考からの結果を言葉にして答えることができます。但しこのような場合は希です。

多くの場合、子供が持っている知識にその子供なりの情緒が伴っています(知識を思い出すと同時に、その知識を得たときに生じていた情感=情動が生じる)から、その結果、その知識が持つ情動の機能が強く子どもの心に働いて(感情的になって)、子供は考えるという思考活動ができなくなります。極めて感情的になっていて、感情的な反応しかできなくなっています。つまり、不登校の子供が知識を利用して考えようとしても、その知識が持っている情動が子どもの心を支配して、考えることができない、思考ができない心の状態になっています。大人の持っている様な理性的にできなくなっています。その時生じていた感情から感情的になっています。

*大人は子供の経験を色々と分析してその答えから、対応法を考えます。しかしそれは子どもの心から言うなら間違っていますから、害はあっても、意味が無いことになります。つまり、 *「大人が考える不登校の子供の心の説明は、ほぼ間違いなく間違っているのです。*] 不登校の子供の心を守るには、今目の前の子どもの心を楽にしてあげることが母親の対応法です。

大人の心と子どもの心の違い(まとめ)

子どもの心と大人の心と異なるところを纏めにして、3点を箇条書きにしてみます。不登校の子供を育てている母親は絶対にこの3つを守って下さい。

1)子供は子供が持っている知識を言葉にできるが、その言葉からの行動はできません。その言葉から行動ができるときとは、報償か罰が関係しています。
*子供が言葉通りに行動した行動とは意識行動ではなくて情動行動です。 *「不登校の子供の言葉は、子供の知識であり、子どもの意思ではありません」* 。

2)子供はその情感や習慣、知識に、大人顔負けの物を持っている場合があります。つまりそれなりのトレーニングをすると大人の能力、又はそれ以上の能力を発揮することができます。但し、それなりのトレーニングを受けるには、母親又は代理母が存在してその心の支えが必要です。
*母親又は代理母との信頼関係が無い限り、子供はその能力を伸ばすことができません。 *「不登校の子供の能力を伸ばそうとするなら、まず母と子との間の信頼関係が最優先」* されます。

3)子供はそれなりのトレーニングを受けると子供が持っている子供が経験した事実、知識から考えることができます。その知識から言葉にして答えることができます。但し子供が持っている知識に情緒が関与した場合、子供特有の情緒の機能が強く働いて、考えるという思考活動ができなくなります。
*大人は子供の経験を色々と分析してその答えから、対応法を考えます。しかしそれは子どもの心から言うなら害はあっても、意味が無いことになります。つまり、 *「大人が考える不登校の子供の心は、ほぼ間違いなく間違っているのです。*] 不登校の子供の心を守るには、今目の前の子どもの心を楽にしてあげることが母親の対応法です。