「引きこもり」支援者に根強い“引き出せばいい”という錯覚の罪 10

所謂フリーターについて考えて見ます。

ニートと理解される人は、必要を感じたとき、家の外に出てその目的を達成して叉引きこもっていますが、その内で必要と感じた物がお金の場合には、所謂フリーターと呼ばれる人になります。但しアルバイトをするときは、単発でアルバイトを出来ませんから、ある期間縛られて外出することになります。

ある期間縛られて外出することを、所謂ニートの人はしませんから、アルバイトをする人をニートと区別してフリーターと呼ぶのは分かります。そしてそこにはお金を得るという大人が喜ぶ姿がありますので、それもニートと区別するのは分かります。

人の外見からで無く、その人の、その大人の人の心という点から見たら、フリーターの大人は無理をして動いて=働いています。それは心のエネルギーを奪ってしまいます。やがてアルバイトが出来なくなります。

無理をしてと書きましたが、無理で無かったなら、その大人が求める働き方、その大人が求める欲求そのものだったら、アルバイトは続きます。そのアルバイトに発展性があります。つまり心のエネルギーを増加させます。

多くの引きこもりに対応をしている人たちは、このようになることを目的に活動をしていらっしゃるようですが、現実にアリバイとがその大人の人の求める動き方=労働の姿出ない場合が多いです。多いどころか殆どのアルバイトがその様です。

職場や対応をしている人たちは、アルバイトをしている人がお金を得るだけで満足できてその仕事を続けられると考えているようですが、その様なアルバイトをしていろ大人は極めて少ないと思えます。辛い心を持っているが、お金を得なくてはならない、無理して働く、叉自己否定に陥り、引きこもりに戻ってしまうと言う繰り返しになる場合が多いようです。