鬼畜夫婦 最終回

>この種の虐待事件は、実態がなかなか表に出てこない。それというのも、夫婦は幼稚さから友人がおらず、家庭という密室でそれをつづけてしまう。
それは外部者から見た判断です。父親から見たら、そしてきっと母親もそうだったと思いますが、自分たちが育てられてきた方法を真似て子育てをしていたのですから、自分たちが辛かった子育てに周囲の大人が気づかなかったと同じ理由で、この家庭の実態は表面に出てこなかったのだと思います。

>本人たちは本人たちなりに愛しているつもりだから、ちゃんと定期検診などに連れて行ったりする。それゆえ、なかなか虐待の実態が明るみに出ないのだ。
この父親なりに、この母親なりに、自分たちが知っている子育てをしていたのです。それしか知らなかったのですから、その子育てを子供達を愛して居たと表現するのも仕方がない事でしょう。両親とも虐待をしていたとは感じていなかったのです。躾としてであり、他の人から見たら虐待でも当の親から見たら、子供のための躾だと理解したのです。ただ、この両親も周囲からいろいろと関わられるのは嫌だったはずです。そのために周囲からいろいろと言われないぎりぎりのところの虐待、この両親で言うなら躾をしたのでしょう。

>「子供をチェックするだけでは限界があるんです。本当にチェックしなければならないのは、親なんです。親が子供を育てるだけの能力を備えているか。それは経済だけではなく、様々な良識という意味です。親は子供を産んで親になれるわけじゃないんです。子供を産んだって親になれない大人はたくさんいる。大切なのは、そういう『親』をどうサポートするかということなのです」
この夫婦はきっと自分たちの良識で子育てをしたと言うと思います。
つまり良識の尺度が平均的な日本人と異なるのです。この尺度はその人が生まれてその時まで育ってきた過程でできあがっています。簡単には変えることが出来ません。それ故に法律でで罰を与えて、その罰を回避するためにその問題行動をしないようにするしか方法が無いのです。その範囲も法律で罰を与えられる範囲ですから、当然限界があります。その罰により反省を期待するのでしょうが、そのためには反省に導ける助け船が必要です。自分で出来るようならこのような問題を生じないからです。

>重要なのは、大人が子供を産んだからといって正しい親になれるわけではないという点だ。そしてその理由の多くは、彼らが生まれ育ってきた環境にある。
正しいと言う言葉以外は、その通りだと思います。只、正しい親とは言葉の上で存在していても、実際にはは無いと思います。人によって、文化によって異なります。自分たちの子供から見て正しい親なら存在しますが。