鬼畜夫婦 追補

人の心には、意識の心、習慣の心、情動の心とがあります。
情動の心は本能と、生まれて乳児頃の期間に母親から移入した物です。日本文化の移入と言う事になります。
習慣の心とはその時までに経験して繰り返してきたことです。
意識の心とは知的に思考をしてその結果から反応をする心です。

鬼畜夫婦の父親は、情動の心にトラウマを持っています。潜在意識で否定に強く反応をする物です。ですから自分でも気づきません。自分に気にくわないことがあると、それは自分の否定になり、それに対して強く反応をしてしまいます。特に次男が父親のトラウマを一番強く反応をさせたのでしょう。

習慣の心から、自分たちがされた子育てを、自分の子供にしていたのです。ですから他の人から見たら虐待でも、自分から見たら当たり前のことだったのです。それしか知らなかったのです。

理性の心の成長が不十分だったのです。理性の心に対応する脳は大人に成長をしていても、そこで機能をする情報、知識を平均的な日本人の物を持っていなかったのです。普通の人と違うのは、意識的に情動の心を調節しようとする能力=感情の調節をする能力が育って居なかったのです。感情を意識的に調節する練習をしないで育ってきたという意味です。

次男が死ななくて、この鬼畜夫婦が子育てを続けたら、その子供達が大人になったときに、叉この鬼畜夫婦と同じことをするはずです。同じことしかできないからです。それ以外のことを教えられていない、経験していないからです。その意味で言うなら、次男の方の犠牲でこの鬼畜夫婦の子育てが一端中断するのですが、その中断している間に、残った子供達の子育てがどうなるのか、それが今後の問題です。

子供の心の成長には、母親の存在が必要です。然しこの鬼畜夫婦の母親はどの様な母親なのか、この母親に育てられて子供達は平均的な日本文化を身につけられるのか、それが問題です。またしばらくの間母親は留置されて子供達から離されています。その間に母親の役目を果たせる女性がこの残された子供達にあてがわれるのかどうか、この記事からでは分かりません。叉、父親が出所したときに、叉同じ子育てが続けられてしまう可能性もあります。