ある男の子からの考え方 13

>担任は今年教師になったばかりでした。校長の指示に従うだけで、学生達の思いを代弁することが出来ませんでした。そのために担任と生徒達とがぶつかり教室内が荒れてしまったのです。この事実を知った純一君の母親は、純一君に学校とトラブルを起こしてはいけない、純一君の学校内での評価と、大学進学に影響をするからと、純一君を説得しました。その結果純一君は荒れて自分の部屋に引きこもってしまいました。

もし、担任が十分に経験を積んだ教師、叉は経験を積んだ教師だったとしても、結果は同じだったと思います。それまで教師としてしてきたこと、教育者として子ども達や親たちの前に立ち、学校の維持、自分の生活の維持のために、どの様な対応をすれば良いかを、考えなくても、悩まなくても、ほぼ反射的に対応法を見つけられる教師になっているはずです。つまり校長などの管理職と同じ発想になっているはずです。

なぜ教師が子ども達の心に沿わない対応をすることが許されるのかを考えて置く必要があります。

1.教師は教育者である=教育の専門家=教育という鎧で守られている
つまり子どもやその親は、言葉の上で教師に対抗をするのが難しと言う事実です。言葉の上では、親が子どもの立場で無く、教師の立場に立ってしまう現実があります。

2.教師による教育は学校という閉じた空間でなされていて、その内容を教師以外の大人が知るのに難しさがある。つまり学校内での問題、教師と子どもとの間の問題が、社会問題化されにくい。親ですら学校内での問題を知るのが難しいという事実です。

3.その学校という閉ざされた空間からの情報は、そこにいる子どもからしか得ることが出来ない。所が子どもの言葉を大人はすぐに信じない傾向があります。子どもが学校内の問題点を訴えても、それはまだ未熟な子どもの方が変わって行くべきだと、判断する傾向があります。

4.その学校という閉ざされた空間で行われていた結果=進学という点でのみ、学校が評価される傾向にあります。結果が良ければすべて良しと、その過程にどんな問題点があっても、結果で学校が評価される傾向が強いです。

5.学校内での問題で苦しむ子どもが生じても、その原因や責任は子どもに向けられて、教師が責任を取ることは無いに等しい。

6.ある時間が経つと(中学、高校では3年間)が経つと、どの子どもも学校からいなくなり、教師が、教師が作った学校のあり方だけが、残されて続いているという事実です。すべての学校内での問題点がご破算になっていることです。