ある男の子からの考え方 14

>担任は今年教師になったばかりでした。校長の指示に従うだけで、学生達の思いを代弁することが出来ませんでした。そのために担任と生徒達とがぶつかり教室内が荒れてしまったのです。この事実を知った純一君の母親は、純一君に学校とトラブルを起こしてはいけない、純一君の学校内での評価と、大学進学に影響をするからと、純一君を説得しました。その結果純一君は荒れて自分の部屋に引きこもってしまいました。

「担任と生徒達とがぶつかり」と書かれています。担任の問題は既に書きました。生徒達の問題も考える必要があります。ただし、学生達と書かれていますが、きっと生徒全員では無かったはずです。そのクラスの純一君以外のある人数の学生達だったはずです。その他の学生達は、子ども達が持つ本能「同年代の子どもと過ごすのが好きである、新しいことを知るのが好きである」が機能をしているから、自分から進んで、教室内の荒れに参加することは無かったと思います。

ただ、同年代の子どもと過ごすのが好きだと言う本能のよそから、自分が辛くない範囲で、場合によっては楽しい範囲で、教師とぶつかっていた学生達に同調していたはずです。所謂日和見と表現される立場です。然し子どもの心という立場から言うなら、この子ども達の姿は自然態なのです。大人の心では、大人の間では、日和見とは自分が無い、大人らしくないと理解されますが、この点も大人の心と子どもの心との違いの一つと言えるかもしれません。

子どもの心から言うなら、子どもの方から大人の求める様な行動をしないとき、このときが子どもの心の自然態と言って良いと思います。その時々に受けた刺激に素直に反応して生活をして成長をしている姿です。子どもがあることに没頭して居るときとは、子どもの心にとても強い接近系が機能をしているときか、とても強い回避系が機能をしているときです。これも子どもの心の素直な反応の仕方ですが、前者は子どもの能力を高めていきます。後者により、子どもは荒れたり問題行動をしたり、心の病の症状を出すようになります。