ある男の子からの考え方 17

>この事実を知った純一君の母親は、純一君に学校とトラブルを起こしてはいけない、純一君の学校内での評価と、大学進学に影響をするからと、純一君を説得しました。その結果純一君は荒れて自分の部屋に引きこもってしまいました。

純一君が担任の対応で、クラスの荒れの中心になったとは思えません。荒れの中心になったのなら、ここに書かれているような不登校にならなかったと思います。もし、クラスの荒れの中心になっていたら、純一君は荒れるだけ荒れて、その荒れたことに対して担任から新たな純一君を否定するような対応を受けたと思われるからです。その事実は書かれていませんから、無かったと推測されます。また、荒れることで、純一君達荒れた生徒の心は、辛さが軽減しますから、担任から特に新たな生徒達を否定する対応を受けなければ、不登校にならないと推測されるからです。ですから、クラスの荒れの中心になったのは他の同級生だったはずです。

純一君が担任から文化祭のテーマを拒否されただけで、純一君が不登校になったのかどうか、推測の域です。純一君には挑戦するという性格を持っていましたから、例え心のエネルギーが低くても、担任がもたらした否定、障害をのりこえようとした、つまりクラス内の荒れに荷担して、学校を休んだり、学校に行ったりという、所謂五月雨登校の形を取った、2の形の不登校になったと思います。

純一君が3の形の不登校になったのは、母親の純一君への対応が、決定的になったと思います。母親の純一君のその時のあり方を否定した対応が、純一君をますます辛くしました。その辛いこころを持って登校した結果、辛さの相乗効果を生じて、学校という物、学校という概念に反応をして純一君を辛くするトラウマ=fecorを学習したはずです。