子どもの死にたいについて

>親が子どもと一緒に死ぬというのは、親自身がその子ども未来を絶望視していると子どもが理解しませんか?

いつも申し上げていることですが、子どもが死にたいと言う時は死ぬという意味で無くて、死ぬほど辛いと言う意味です。母親が一緒に死のうと言ったとき、娘は本当に母親が死ぬと言葉の上で理解しますが、母親が共感してくれたと理解します。

確かに、母親が死んでしまったら、心が辛い子どもにとっては、心の辛さを癒やす最大の癒やしが無くなることになります。ですから、こどもには母親が死なれることは大変に困ることです。でもここに矛盾がありませんか?子どもが自分から死んでしまうことは、母親が生きて言おうと、死んでしまおうと、どうでも良いはずです。母親が死ぬという言葉に反応をすることは、母親がとても大切だ、自分は母親に守って欲しいという意味になります。

娘も本当に死ぬつもりで「死にたい」と言っていません。母親にも死んで欲しくありません。母親が共感して死ぬという言葉を使っていると、娘の方から死なないでと言うはずです。その場合の死ぬは命を絶つという意味ですが、娘は死を命を絶つという意味で使うことは、このような特別の場合しかありません。
母親も死ぬつもりは無いはずです。ただ、娘がいる地獄に一緒に行くよという意味、共感しているという意味です。