とても大切なご指摘!

>子供は必ず元気になって、学校に向かって、社会に向かって動いていける、いろいろな障害を自分で乗り越えてくれると、子供の今を、将来を、信じて子供に任せると、子供は心を元気にして、母親の思いにそって自分の将来を切り開くことが出来ます。

結局、元気になって学校に、社会に向かっていけるという思いがある以上、それが目的となるので、時が経てば経つほどそういう思いでいる母親は苦しくなるだけではないですか?
5年、10年経っても子供が変わらず引きこもりでも、果たして同じ希望を持ち続けられるでしょうか?
私は無理です。

私からのMSGは、動物の子供として子供が持って居る本能の一部です。人間の子供である限り、必ず持っている能力です。然しその子供特有の本能からの能力を知っている大人が殆どいないから、不登校の子供の心の問題の解決が難しくなっています。母親が思う、思わないに限らず、子どもの心が楽になると、辛さが取れると、必ず機能をする物です。ですから母親は知らなくても良いことなのです。子どもの心が辛くなければ、必ずこの本能が機能をして、その子どもなりに大人になり、社会的にも、経済的にも、自立してくれるのです。それを母親だけは信じて欲しいという意味で、子供の本能を具体的に言葉にしてみました。

>子供の今を、将来を、信じて子供に任せると
これを不登校で辛い子どもの御母様にお願いしています。御母様に子供には本能がある事を信じて、その本能が機能をしやすいように、今の子供を守ってあげてくださいとお願いしています。そして今の延長である将来も子供を守られるからです。御母様に子供の今を大切にしてくださると、後は子供が解決してくれるから、おこさんの将来を考えなくて良いと言う意味を説明しています。もちろんこの子供の本能を知らなくても良いのです。

確かに子供の本能を具体的に考えて、それを意識して、子供に向かい合えば、おっしゃるとおりになります。ですからその本能の内容も考えないで、子供が本能を持って居ることも考えないで、無心で、子供と成長を楽しむ生活だけで良いですからと、不登校の子供を持つ御母様にお願いをしています。

現実に子供の将来を不安視していらっしゃる母親に、子供の辛い心だけを守って、それ以外を子どもの成長を楽しむ生活をしてくださいとお願いしても、それだけで子供の将来を信じてくれる母親は皆無です。やはり母親が安心して不登校の子供に対応をして頂くためには、その将来に問題ないことを説明する必要があります。そのために子供が持つ本能を持ち出しています。母親が子供に本能がある事を理解出来たら、その本能の存在も忘れて、無心で子供の育つのを待つ、子どもの成長を楽しむ生活をして頂くわけです。
「元気になって学校に、社会に向かっていけるという思いがある」のでは、目の前の子供の否定になります。不登校の子供を母親が安心して守り育だつのを待つための、一時期の方法論、知識なのです。どの様な姿の子供でも、母親だけは目の前の自分の子供を、無条件で信じて貰う、信頼して貰うための、母親への説明の言葉、安心感を与える言葉なのです。叉この言葉の意味は

ダーウィンの進化論と同等の意味合い

なのです。子供は母親に守られて、心を元気にして、母親の思いにそって大人になり、自分の将来を切り開くことが出来き、自然淘汰(人間では社会からの淘汰)に耐えられる能力を身に付けていきます。

繰り返しますが、私が言っていることは、不登校の子供のように心が辛い子どもを持つ母親に、この本能を意識しろと言っているのではありません。母親には無心で、母性を機能をさせて、子供が育つのを待っていて欲しいと言っているのです。それだけで子どもが成長したときには、その子どもなりに、社会性のある大人に成れますと言っています。不登校の子供の母親で無ければ、このようなことを考える必要はありません。子供を母親が思うように育てて良いのです。オリンピックでメダルを取るような子供を目指して育てて良いのです。その点も間違えないでください。今の社会の大きな間違いの一つは、心が元気なこともへの対応を、心が辛い子どもへの対応と間違えているという事実があります。