大人の知らないネット社会

ネット上の人間関係は、気にくわなかったり嫌になればすぐに自分の気分でシャットダウンできます。しかし生身の人間となるとそうはいかないし、家族以外の第三者となれば尚更、苦手な人や多少嫌な思いをしたり、意見の食い違いや衝突も上手く折り合いをつけていかなければならない。そういった生身の人間関係を家に引きこもっていたら全く経験していないわけで、その期間が長ければ長いほど、どんどん生身の人間、他人と関わるのが怖くなってしまうばかりではないかと思うんです。

>ネット上の人間関係は、気にくわなかったり嫌になればすぐに自分の気分でシャットダウンできます。
それが不登校などの心の辛い子どもには、良い効果があるようです。ネット上では自分を辛くする人からすぐに逃げられますし、ネット上では言葉だけですから、相手から登校刺激を受けない限り、相手を避ける必要がありません。それどころか同じ楽しみを追っている人ですから、話が合いやすいです。友達になりやすいです。
もう一つネットでのメリットは、ネット上で登校刺激を受けても、面と向かっている人から登校刺激を受けるより、遙かに弱いようです。その理由は何とでも付けられますが、本当のことはわかりません。現実に不登校の子供が面と向かっている人から受けた登校刺激の言葉でも、ネット上の大人から受けた登校刺激の言葉は、子どもの方で適当にやり過ごしているという現実があります。
もう一つ大きな要素は、ネット上の人の価値とは決して年齢や職業で無く、ゲームの強さだと言う事です。もちろん全てが全てでは無いですが、然しその傾向はあります。大の大人が幼い子供にゲームの指導を受けているという事実があります。ネット上では対等か子どもの方が上名場合もあります。それでも子供はちゃんと年齢が上の人に敬語も使っているようです。
それは日本語ばかりではありません。ネットでゲームをする子供は、外国人ともゲームをします。言葉がわからなくてもゲームが出来るのです。言葉のわからない外国人が子供二ゲームの教えを求める場合もあります。子どもの方でこの英語はどういう意味と母親に聞く場合もありますし、翻訳ソフトを利用している子供もいます。
つまり、ネット上で不登校の子供達は、いろいろな年代の人、いろいろな立場の人と話し合えるし、ゲームをする関係上、お互いの立場を尊重する習慣を身につけているようです。

>生身の人間となるとそうはいかないし、家族以外の第三者となれば尚更、苦手な人や多少嫌な思いをしたり、意見の食い違いや衝突も上手く折り合いをつけていかなければならない。
それを見事にやっている子供が結構いるのです。

>生身の人間関係を家に引きこもっていたら全く経験していないわけで、その期間が長ければ長いほど、どんどん生身の人間、他人と関わるのが怖くなってしまうばかりではないかと思うんです。
子どもの心を知らない人はその様に思ってしまうのは仕方がないです。
でも子供達はゲームを使って、ネットを使って、その子どもなりの成長をして、社会に向かって出て行っています。

只もう一つ言えることは、このようにしてネット上で不登校の子供とゲームを楽しんだ大人は、子供達がどの様にしてその大人達を利用して社会性や知識を得ているのか気づいていないようです。