共感

あるカウンセラーが、「**したかったんだよね」とか「これが嫌だったんだよね」という言い方をしていると聞きました。これはクライエントに共感する方法だと言われています。でもこれはカウンセラーの感性からの判断をクライエントに誘導しています。それでもクライエントの言葉をオーム返しにしているのなら、悪くは無いと思われますが。

このような言い方は、クライエントの感情(情動の一部)をたずねる言い方ですが、実際は、カウンセラーがクライエントの辛い気持ちに沿って、そういう気持ちなのわかってるよ、と伝えていることになるので、これは共感の言葉となりません。結果的にカウンセラーの感性を押しつけになる可能性があります。

**したかったんだよね、はその時生じた情動からの情動行動を指しています。共感自体は情動だけでよいですから、共感では無いです。また、これが嫌だったんだよね?という言い方になると、いやだったと言う事は共感になりますが、これがと言葉を付け加えることで、いやだったことを限定すると、その限定したという所にカウンセラーの意図が入り、共感になりません。

これを相談してくれた人は、「自分はこう思っているけど、そうだよね」とカウンセラーの判断を確かめ様としている、子供から「うん」と答えるのを期待しているようにと、感じて居ました。私はこの人のその感じ方は正しいと思います。カウンセラーは共感を装って、カウンセラーの思う方向に、カウンセリングを進めようとする意思を感じたとも言っていました。

些細なことですが、~だったんだよね、という言い方は、~だよという言葉を軟らかく表現しただけで、クライエントの方では、~だと断定されたような理解の仕方になりかねないです。押しつけと理解されかねないです。