心のエネルギーが不足している

つまり、いくら思春期で回りの目が気になる年頃だとしても、またお試しで行ってみた適応教室がどんなに楽しかったても、また一時的に心が辛い時が過去にあったとしても、現時点で心が辛くなければ、通常の公立に転校生として新たに行くことや、そこで浴びるかもしれない私立を辞めてきたという周囲の目など気にせずに自ら通常の学校に行くことを望み、また、適応教室を物足りなく感じてくるのが心が元気な子どもの姿であり、適応教室は早々に後にして、公立だろうが私立だろうが通常の学校に行きたがるものだ、いうことになりますでしょうか?
もし、子どもがそもそも「心が辛い不登校」でないのであれば、親の勝手な判断で不登校にしてしまい、その対応を続けることは心が元気な子どもにとって最善では無いのではないかと心配しています。
また、心が辛い不登校だという場合は、分類1でしょうか?分類2でしょうか?どの分類かに拘ることが目的訳ではありませんが、分類1と分類2では、取るべき対応が違うように考えています。
学校(校舎、教室、etc...)、先生、勉強、学用品全てに抵抗無し、友達は積極的に求めている、家庭でも元気、受け答え、会話、外出全て問題無し、しかし、本人が言っている理由の如何を問わず、通常の学校に行けていない状況というだけでも、まだエネルギーが足りない、ということになりますでしょうか。

>思春期で回りの目が気になる年頃
これは大人の思いの押しつけになります。子供の立場から言うなら、このようなことはありません。もし子供がこのように感じるなら、子供に何か辛い事があると考えてください。

>適応教室がどんなに楽しかったても
適応指導教室が子供の本能、新しいことを知りたい、同年代の子供と遊びたい、子供の周囲の社会に順応したいという本能を満たしてくれるなら、子供は適応指導教室に満足して、それ以上の物を求めない可能性は高いです。
多くの適応指導教室ではこれを満足させてくれないから不登校の子供は適応指導教室すら拒否するようになります。

分類1なら、小学校入学時から学校を拒否し始めます。
分類2なら、学校関係の事全てに強い拒否反応を示します。但し子供がよい子を演じている場合にはこれは当てはまりませんが長続きすることはないはずです。

でしょうか?分類2でしょうか?どの分類かに拘ることが目的訳ではありませんが、分類1と分類2では、取るべき対応が違うように考えています。

>エネルギーが足りない、ということになりますでしょうか。
少なくとも適応指導教室に転校をすることを受け入れたことは、心のエネルギーが小さかったという事になります。その後心のエネルギーが増加したのかどうか、判断する材料がないので出来ません。判断出来なければ以前の場外が続いていると推測せざるを得ません。