大人の心、子どもの心

甥は、イジメが原因で不登校となりました。人間関係にトラウマがあるんだろうというのは分かるんですが、家で守られ続けて、辛さは薄れていくのかもしれないが、対人恐怖はやはり第三者との関わりの中でしか治らないと思ってしまう私は、考えが古いんでしょうか?引きこもりで家族だけのコミュニティでは、イジメから派生した対人恐怖は治らないんではないかと思うんです。

>甥は、イジメが原因で不登校となりました
いじめは甥御さんの不登校の原因の一つです。甥御さんにとっていじめが辛かったという事実を言っています。ただしそれだけが原因ではありません。他に学校が辛かったことがいろいろとあって、その結果として学校そのものが、学校という概念がお子さんを辛くしています。これを 学校に反応をして子どもを辛くするトラウマ=fecorと表現しています。この事実は大人でもわからないことですから、甥御さんが理解していないのもしかたがないことです。そして其れが不登校の子どもの心の辛さですから、不登校の子どもでも学校を意識しなければ、普通の子どもに戻れます。

>人間関係にトラウマがあるんだろうというのは分かるんですが、
登校刺激がある人を甥御さんは避けようとします。登校刺激に関係ない人とはつきあうことができるはずです。

>家で守られ続けて、辛さは薄れていくのかもしれないが
家で守られるという意味は、家の外からの登校刺激から守られるという意味で、私たちは蚕の繭をたとえにして表現しています。繭の中で登校刺激から守られて、その子どもなりに成長をするという意味です。この成長というところが大人の引きこもりと異なるところです。

>対人恐怖はやはり第三者との関わりの中でしか治らないと思ってしまう私は、考えが古いんでしょうか?
甥御さんの心に沿っていないという意味です。今の甥御さんでも登校刺激が無い人との関わりは可能です。

大人の心で子どもを見たときに、そのように思われるのはよくわかります。でも其れは大人の心を子どもに当てはめたことによりそのようの思われるようになっています。子どもには大人の心と異なる子どもの心があります。其れを理解して子どもへの対応を考える必要があります。特に不登校などの心が辛い子どもには、子どもの心を理解して対応をしないと、子どもがますます辛くなり、大人になっても自立できなくなります。

>引きこもりで家族だけのコミュニティでは、イジメから派生した対人恐怖は治らないんではないかと思うんです。
きっと甥御さんに対人恐怖はないと思います。登校刺激がある人を避けているだけだと思います。繭の中で登校刺激から守られて、成長をすることで、登校刺激が消失していき、登校刺激に反応をしなくなると、自分から繭の外に出て行きます。
確かに学校に行かないので、学校の勉強はできていませんが、成長により自立していき、必要と感じたときには学校の勉強を自分から始めます。学校に戻る子どもも出てきます。其れで社会に出て行くまでに十分に間に合います。